「芸術は爆発だ」の言葉で有名な岡本太郎さん。

お母さんは小説家の岡本かの子さんです。

かの子さんの小説は好きで何冊か読んでいるのですが、太郎さんの作品については正直いままで興味がありませんでした。

しかし先日、Amazonでたまたま見かけた太郎さんの本を見かけなんとなく購入してしまいました。(何かに吸い寄せられるかのように)

か、顔が少し怖いですが・・汗

岡本太郎さんのこれまで生きてきた人生をもとに、生き方のヒントとなるメッセージが熱く語られています。

この本は1996年にお亡くなりになる前の3年前である1993年に書かれていますが、25年前のものとは思えないくらい現代の人たちに届くメッセージに思えました。

もちろん私自身にも共感できる箇所が多くあり亡くなられた太郎さんとお話しているような感覚のようだったので、特に響いた部分を紹介したいと思います。

芸術は生きることそのもの

ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間としてもっとも強烈に生きる者、無条件に生命を突き出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。

「芸術」というと、普段の生活とは全く別次元の世界と考えている人が多いように思います。

なんとなく芸術が別扱いという状態に違和感がありました。

ですので著者の「芸術というのは生きることそのもの」という言葉に共鳴しました。

確かに絵画や音楽、小説などといった誰かが作った商品を世間一般では「芸術」というけれど、

その元となるのは結局のところ誰かの生き方そのものであるんだよなあ、と。

例えばゴッホの自画像。あの絵画を見て「上手!」「素晴らしい!」という人はそれほどいないと思います。

ゴッホの半生を知ってから見たとき、目を背けたくなるくらいの焦燥感、劣等感のようなものが伝わってきました。

それでも自分と戦い続けながら書いたんだな、と思うとまた切なくなり。

実際ゴッホは最後に銃で自殺してしまいますが、その人生は戦い続けたものだったと思います。

今の世の中「芸術?そんな悠長なこと言ってる時間ないよ」という人も多いですが人生そのものを芸術作品と捉えた場合。果たして自分の生き方に誇りを持てるかどうか。考えさせられました。

純粋に生きるからこそ、不幸になる。しかしその不幸こそがほんとうの生きがい

独りぼっちでも社会の中の自分であることに変わりはない。その社会は矛盾だらけなのだから、その中に生きる以上は、矛盾の中に自分を徹する以外にないじゃないか。

そのために社会に入れられず、不幸な目にあったとしても、それは自分が純粋に生きているから、不幸なんだ。純粋に生きるための不幸こそ、ほんとうの生きがいなのだと覚悟を決めるほかない。

岡本太郎さんは子供時代から、「出る杭」だったようでガキ大将にいじめられたり、先生に意味もなく怒られたりしていたようです。(小学生のときから自殺を考えていたとか・・気の毒過ぎます)

でもそれも純粋に生きるからこその不幸であって、それがなければ本当の生きがいは感じられないとも言っています。

私も子供時代、出る杭ではありませんでしたが、どうしても納得のいかない怒り方をする先生には、口では従っていたものの心の中では軽蔑していました。

思えば、子供時代は今よりずっと純粋に世界を見ていたなあ、と思います。

変な妥協はしない、自分をごまかしたりしていなかった気がします。

「子供時代に戻りたいな〜」と言う大人が多いので子供時代が辛かった私はマイノリティなのかなと思っていました。

でもかの岡本太郎さんもそうだった、そしてそれは純粋であったがゆえに不幸だった、と自分についても代弁してくれたような気がしました。

大人になった今も、「ま、そんなものだよね」でカッコつけて幸せなふりをしていても虚しくなるだけな気がします。

本当の生きがいは自分と正面から向き合って不幸になることから始まる。教訓となりました。

自分の頭をガツン!と思い切り叩かれたかのような衝撃のある本でした。

「爆発」の意味も少しわかったような(多分)。お勧めです。

編集後記

昨日は、写真撮影、書籍執筆、3月決算のお客様のデータチェックなど。

写真撮影は、壁の傷が写ってしまったので覚えたてのPhotoshopでゴシゴシと。ついでに自分も綺麗にしたくなりましたがやめました(^^;;)

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法人会で決算説明会講師

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