通常、何か仕事をしたら見返り(特に金銭)が欲しいものですよね。というか、それが当たり前の世の中になっています。

しかし、最近「お金をもらわないで気持ちよく仕事」した経験があったので、なぜなのかなあ?と思ったところを言語化を試みます。

※お金をもらわないで気持ちよく仕事

正反対のシチュエーション

「お金をもらって嫌々仕事」。勤務時代、この状態が多かったです。

私は独立前税理士法人に勤めていたのですが、

正直「ああ、このお客さんと話すの嫌だなあ…」

と思う方が複数人いらっしゃいました。

電話がかかってくるたびに胃が痛むことも。




その仕事は当然ながら自分でとってきたわけではなくて、会社から担当を割り当てられたものです。「我慢すれば給料がもらえる。。。」とまさに「お金をもらって嫌々仕事」をしていました。


一方、真逆の経験を最近しました。

私はコミュニティ運営をしているのですが、他のコミュニティ同士が集って交流するイベント「学習コミュニティフォーラム」に実行委員として参加したんですね。


こちらは以前コミュニティにお招きしたノンプロ研(ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会)の高橋宣成さんにお声がけいただきました。

有志が集まって自主的に行うイベントなので、報酬はありません。


でも…なんだかすごく気持ちよく参加できたんですよね。(私ができたことはほんのわずかで、十分お役に立てたとは言えませんが…)

一番の違いは、「みんなで考える」

すごく良いな、と思ったのが

実行委員の方に意思決定をする偉い方が誰もいなかった、ということです。


みなさん、本当にフラットだったんですね。ヒエラルキー型の組織に慣れきっていた私には新鮮でした。


どうしても立場が上の人がいると「上から降ってくるものをこなせばいい」という気持ちになって主体性も薄れますが、そういう人がいない。ということはみんなが主体的に考えなければいけなくなるということです。


ただ、この方法はデメリットもあってその一番が「時間がかかる」ということなんですね。実際、最初の数カ月は意見を出し合うだけで何も決まりませんでした。


よほど誰かがバシッと決めたほうが進んでいたでしょう。でも、この過程があったからこそ参加しているひとりひとりが「主体的に考える」ことができたのだろうと思っています。(内心皆さん不安だったと思いますが)


これは、すごく新しい仕事の進め方だな、と思いました。

一番の違いは、「やらされ感がないこと」「分業なし」

お金もらっても嫌々、渋々仕事していたときと比較して何が違うのかなあ、と思った理由のひとつは

やらされ感がなかったことです。


自分で参加するといって、参加したのだからやるしかないというか。

そして、会社組織みたいにやらないと怒られるということもないのが、

逆に「何か貢献しなきゃ」という健全な重みにつながりました。

実際、最後の最後で私は当日の撮影役を自分から申し出ました。(写真や動画を撮ることは普段からやっているので)




また、会社のようにはっきりとした「分業」がなかったのも大きな違いでした。

分業って、個人単位では非常に効率の良いやり方かもしれないけど、

全体で見るとうまくいかない場合も多いんじゃないかって思うんですね。


なぜかというと、自分のやるべきことばかりに集中して全体が見えなくなるから。「これ、私の仕事じゃないです」という人が組織にはよくいたけど、なんだか違和感ありました。それだと、自分のしている仕事が何に役に立ってるのかわからなくなりますよね。


そんなこともあり、非効率かもしれないけど、私は「すべてやる(つもりの)人」が集まったら最高のチームができるんじゃないかと思っています。どこかで人が足りなかったら自分が埋めるくらいの感じで。


隣の人が何をしているかわからない「分業」って、信頼も薄れていく気がします。周りが何しているかわからないから、「自分だけが忙しい!きー!」となりやすいのかな、と。

今回、組織とは離れたところで小さなチームの一員として活動して、

あらためて「非効率だけど、ヒエラルキーのないチームで働くことの価値

を感じました。


普段はひとりで働く。でも、たまにフラットなチームで働く(金銭あるなしにかかわらず)。今はこれがベストな気がします。

編集後記

週末は、恒例の手作り味噌を。

材料は大豆、麹、塩だけでシンプルです。

今回は豆を煮るのにホットクックの力も借りました。

前回はカビが結構はえてしまったので、慎重にラップをして。

半年後が楽しみです^^

最近のあたらしいこと

餃子の王将でにんにく餃子持ち帰り

初めて買ってみたのですがファンが多いのもわかります!にんにくそこまできつくなく美味しかった。

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