数年前から、スマホとは別に

ミラーレスカメラを持ち歩いて写真を撮る習慣

できています。

 

最近、Nikonの新しいカメラも買って、絶賛愛用中です。

 

とはいえ、今やスマホでも

高画素、高機能のものがでていて

十分綺麗な写真は撮れます。

では、なぜわざわざ重いカメラを持ち歩くのか。

その理由を書いてみます。

 

表現力があるから

スマホでも十分「綺麗な」写真は撮れますが、

「表現力」に関してはカメラと差があるな、と感じています。

 

特にレンズを変えることのできるミラーレス(一眼レフ)カメラは、

広角、望遠、単焦点、マクロ・・などなど種類が豊富で

表現力がぐっと広がります。

(ちなみに私は焦点距離が一定の単焦点レンズが好きです)

 

さらに、ボケや明るさ具合を決めるF値、

シャッターが開いている時間を調整するシャッタースピード、

光を捉える能力であるISO感度

によって自分好みの写真を撮りやすいです。

 

敢えてオールドレンズで懐かしめに撮ったり、

フィルターをつけて光を抑えるのも好きです。

気づくと、わたしは自然やいつもの食卓など

「普段の風景」をよく撮っています。

 

写真って、やっぱり文章や音楽と一緒で「表現方法」で、

その人を表すと思います。(わたしは「普段」が好きなんでしょうね)

 

だからこそ、どこかから購入してきた整った写真を使うのではなく

多少雑な写真でも自分のオリジナルをブログには載せています。

 

シャッターを切る行為そのものが好きだから

「カメラを持ってると、綺麗な写真撮れるからいいね〜」

と言われることがありますが、

実を言うとそこまで「綺麗な写真を撮りたい」

とは思っていません。

(褒められると嬉しいけども)

 

写真は一応ブログ用にGoogle Photoに保存しますが、

あまり見返すこともしません。

※シンガポールのホテルからみた花火

 

実は一番好きなのは、シャッターを切る行為そのものなんですよね。

だからこそ、すぐにぱしゃっと撮れてしまうスマホではだめで。

「あ、ここ撮りたいな」と思った瞬間を逃さずに、

ファインダーを覗き込んで、

その場を切り取る。

そういった「めんどくさい」行為を敢えてするのが好きなんです。

 

「不要不急」に反抗したいから

コロナで、人の行為そのものも「必要か」「不要か」で判断されるようになって

ちょっと反抗心が芽生えました。

いやいや、人は不要不急の行為をしてこそ生きる意味があるんじゃないかと。

 

カメラで写真撮るのって、先ほども

書きましたが面倒です。しかも全くもって不要不急。

 

スマホでパパッと撮ってパパッとインスタに

あげたほうが楽ですし、すぐにいいねももらえます。

 

でもそういうインスタントな行為じゃなくて

敢えて時間をかけて、

重いものを持ち歩いて、

世の中のスピードに対抗したい(逆方向に)んですよね。

 

人が「無駄」と切り捨てている中に、

本質がある。

そういうことを感じるために

今日も肩こりの原因となる(笑)

おもーいカメラを持ち歩いてブラブラ出かけます。

 

まとめ

スマホでも十分綺麗な写真が撮れるのに、カメラを持ち歩く理由を書きました。

カメラ持ってると、「写真が得意な人」「そして暇な人」と思われるのか、

「写真撮ってくれませんか〜?」と言われることが多いです。(今日も外国人の方に言われました)

 

編集後記

週末は、セミナー準備など。

一旦ChatGPTについてまとめてみたいと思いました。

 

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