長年生きていると、どうしても合わない人は出てきます。

学校生活で植え付けられた考え方があるからか、

「どんな人とでも仲良くしよう」

「調和を大事にしよう」

とつい考えがちですが、無理に合わない人と向き合うことに時間をかける必要はないと思っています。

黒と言っている人に理詰めで白と言っても伝わらない

考え方の根本から違う人とは、向き合う必要もないと思っています。

根本が違う以上、「これは黒だ!」と言っている人に理詰めでどんなに「これはこうだから、白だ!」と言っても伝わらないです。

そんなやりとりはお互いを消耗させるだけで何も進歩がありません。

最適なのはスルー。だけど、悪口は言わない

最適なのはお互い干渉しない、スルー。別々の世界で生きていくという方法です。

ただ1点気を付けることは悪口は絶対に言わないということです。

その人とは考え方が合わなかった。ただそれだけです。

その人自身に何か欠陥があるわけではありません(たとえ自分から見てあると思っても他の人から見たらないかもしれません)。

別々の世界で生きることに何の支障もない

自分から連絡を絶つと、相手もそのうち遠のきます。

それで変な罪悪感を持つ必要はありません。

相手は相手の世界があり、こちらにはこちらの世界があります。

お互い干渉しあわないで生きていくことに何の支障もありません。

人と人との関係は依存ではなく自立した関係が基本です。

自分の足で立つことができる人であれば周りの動向に振り回されなく生きていけます。

家族は向き合う必要がある

「考え方が合わない人とは向き合う必要もない」

と断言してしまいましたが、1つ例外が家族。

家族だけは「考え方が合わない」といってすぐに切り捨てる訳にはいきません。

ただこれも程度の問題ですが、根本的な考え方が違っていたら継続は難しいとは思います。

とはいえ、ちょっと寄り添えば解決できる問題などは積極的に解決していくべきでしょう。(手遅れになる前に・・)

まとめ

週末に、

「そういえば今まで考え方が合わない人とたくさん疎遠になったな・・」

とふと思い出し、記事にしてみました。

疎遠になってしまった人に対してはなんとなく罪悪感はあるものの、無理に向き合って摩擦を起こすよりは別の世界を生きる方がずっと生産的だったんだと思うようにしています。

合わなかった人たちとのことについて悩むよりは、今周りにいる大切な人たちに寄り添うことが大事だと思っています。

編集後記

今日から息子が2泊の修学旅行で京都へ。

私も本日はこれから箱根方面へ。

たまには家族バラバラも新鮮です^^

 

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