ばりキャリでもなくゆるキャリでもなく
5/232016
カテゴリー:女性の起業
数年位前から、女性の働き方について男性並みにばりばり働くという意味の「ばりキャリ」に対してほどほどに働く「ゆるキャリ」という言葉を聞くようになりました。
「ゆるキャリ」が表す女性像は、
「自分が大切にする生活を謳歌しながらマイペースで仕事をする、仕事第一ではない、ゆるやかなキャリアの女性たちのこと」
(2013年6月13日 日経新聞より)
だそうです。
最近この言葉を聞いて気になったので思うところを書いてみたいと思います。
「ゆるキャリ」は当たり前の考え方
「ゆるキャリ」という言葉は女性に対してのみ使う言葉のようです。
しかし考えてみれば、「自分が大切にする生活を謳歌しながらマイペースで仕事をする、仕事第一ではない、ゆるやかなキャリアを持つ」という考え方は男性も含め成熟した今の日本では当たり前のことではないでしょうか。
仮に「仕事第一」と言っている人でも、その人にとっては仕事すること自体が目的ではないはずです。
仕事をすることによって衣食住を満足させたり、家族を幸せにしたり、生きがいを得たりとその先の目的があると思います。(お金=これらのことを実現するただのツールなので「お金を得るために働く」という考え方は私はないかなと思っています)
また「仕事第一でない」とは言っている人でも、単に勤務時間が短いだけで仕事に対する責任は長時間働く人と変わらないのが普通ではないでしょうか。(日本では働く時間が短い=責任ある仕事はさせないという暗黙的な考え方があるので分かりづらいですが)
型にはめると安心する
私がこのような造語に違和感を感じるのは個人がどう考えているかにかかわらず、それが個人の思惑から離れた「世間」だとか「社会」から一方的に区分されるような感覚だからです。
しかし知らず知らずのうちに私たちはそのような言葉に安心している部分もあるかもしれません。
多様な生き方が認められている(実質的には認められていないことも多いですが)現在、個人が自信をもって自分の人生を選択するのは難しい部分もあると思います。そのような「自分の意思で人生を選択する」という訓練を少なくとも私は学生時代に受けていません。
「良い学校へ行って、良い会社へ入って、良い人と結婚して、子供を産んで、家を買って・・」という「正攻法」しか学校で学んでいないのに、社会に放り出されて「結婚も仕事も含め好きなように生きていいですよ」と言われてもとまどうのは当然ですよね。
このような状況で生き方について様々な「型」にはめる考え方が出るのはなんとなく分かります。
ばりキャリでもなくゆるキャリでもなく
実際に自分にあてはめて「私はばりキャリなの?ゆるキャリなの?どちらが幸せなの?」と考えてなんだか時間の無駄なような気がしてやめました(^^;;)
今の若い女性はしっかりしていて、就職活動においても「将来子供ができても働きやすい職場、ほどほどのキャリアを積める職場」を希望する方も多いようです。
無責任なことは言えませんが、個人的には最初からそんなに限定しなくてもいいのではないか、と思います。結婚も出産も自分自身だけでコントロールできるものでもないからです。
結婚や子育てとは関係なく、自分が仕事を通じて本当に実現したいことの自分軸があれば「ばりキャリ」だとか「ゆるキャリ」なんて言葉に踊らされないと思います。
正社員などにこだわらず一定期間仕事量を減らしたとしても自分自身が興味を持って取り組める仕事であれば貴重な資産となります。その資産を蓄積していってまた仕事量をまた増やす、何らかの事情でまた減らす、また増やす・・そういった長い目でのサイクルがこれからの女性(男性もそうですが)にとって必要な考え方だと私は思います。(政府はなぜか正社員にこだわっていますが。。)
「クラウドソーシング」「在宅」「リモートワーク」など新しい働き方もどんどん出てきています。
「ばりキャリ」でもなく「ゆるキャリ」でもない「マイキャリア」を築いていける世の中がスタンダードになってほしいと思います。
編集後記
家から徒歩圏内のカフェでランチしました。
写真はシーフードのトマトクリームオムライス。カフェランチは見た目がいいですね~
横浜駅周辺にはたくさん食べるところはありますが、少し外れた(駅から20分くらい)あたりの「西横浜」「平沼橋」(いずれも相鉄線)付近にも意外とお洒落なお店がポツポツあります。
自分では絶対作れないものを頼むのがやはり正解です^^