今日は映画関連のお仕事をしていらっしゃる個人事業主さんと年一の面談でした。

現在プロデューサーで、映画監督を目指していらっしゃる方です。

確定申告の話は程々に、お勧め映画や日本の映画に関しての提言など興味深い話をたくさん聞くことができました。

その中で「テレビ」の話が出てきました。

私が現在家の中にテレビを置いていなくて、たまに外(ジムなど)でテレビを見るととても違和感を覚えるということ。

具体的に言うとテレビの中で話している人の話題についていけない、なぜ笑っているのかわからない、といったことを言うと

「わかります!」

と共感してくださいました。

「空気」を生み出すマス向けの発信

もっと正直に言うと、テレビ(特にバラエティ)を見ると一種の「気持ち悪さ」を感じます。

きちんと定義されていない「ふわふわした言葉」で無理やり定義し、差別的なことを笑いでごまかし、ある種その中だけで通じる「空気」のようなものが気になり。。

そしてとても巧みに見る人の感情を操り、中毒性を持っている気がします。

テレビだけに限らず、ネットの中でも多くの人が見るYahooニュースなども避けているのはそのためです。

読んでいるだけで嫉妬、劣等感、優越感、悲壮感などが湧き上がるような記事ばかりです。

(良い番組もありますしテレビ・ネットニュースをを全否定しているわけではありません)

一部の人に刺さる発信のほうが断然面白い

聞いたところ、映画界も大手のスポンサーばかりでマス向けになってしまっているということでした。

映画の良し悪しを決定するプロデューサーも、「良い映画を作る」仕事ではなく、「利害関係者の利害を調整する」仕事をしているのだとか。

音楽もそうですね。

自分たちの好きな曲を作りたいのに、所属する音楽事務所のことを考えるとマス向けにならざるを得ないとか。

映画でも音楽でも、「一部の人に刺さる」もののほうが、今の時代私は面白いし、価値が高いと思っています。

「マス」(大衆)・「スポンサー」(お金の出処)を意識するととたんにコンテンツって面白くなくなります。責任の所在も曖昧になり無責任な情報も溢れます。

「マス」「スポンサー」を意識しないで仕事するフリーランスの強み

「マス」「スポンサー」を意識しないで仕事するには「個」として仕事する、つまりフリーランスが一番良いと思っています。

仕事の決定権も自分、お金の出処もすべて自分であれば自由に発信ができます。

フリーランスは大手の企業のようにマスに向けた発信では影響力を持てませんが、「隙間」に特化して発信することによって影響力を持つことができます。

そして小資本で、スポンサーに頼るまでもなく「小さく早く」動くことが可能です。

「マス」「スポンサー」を意識しないで動くことのできるフリーランスという働き方、

大手から見たら「風が吹けば飛ぶ」くらいの存在かもしれませんが、

誰よりも早く動き、一部の人に刺さる情報を発信し、大きな影響を与えることのできる強みがあると思っています。

まとめ

「テレビの空気がよくわからない」ことをきっかけに、

「マス」・「スポンサー」を意識しないで動くことのできるフリーランスの強み

に気づき書いてみました。

編集後記

昨日は、雑誌Preciousで私が掲載された記事を読んで顧問を検討していただいたという方と面談でした。

主婦など時間に制限ある人を積極的にフリーランスとして契約されている会社さんで、

まさに「個」を大切にされている気持ちが伝わってきました。

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