「従業員の代わりにAIを使う」に反応した理由を考えてみた

  • 2025.06.25
  • AI
「従業員の代わりにAIを使う」に反応した理由を考えてみた
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ちょっと前に、

「なぜAIを使うのですか?」

という問いに

従業員の代わりに

とおっしゃられていた方がいました。

その言葉に、ずっとモヤモヤしていて、

どこにその理由があるのか、考え続けてきました。

なんとなく答えが出たので、書いてみたいと思います。

*AI、なんのために使うの?→私は人生を豊かにするため

人を部品のように扱っている気がしたから

いや、そんな意味で言ったんじゃないよ。

そういう声が聞こえそうですが、

私にはそんなニュアンスに聞こえてしまったんですよね。

人を部品のように扱う感じに。


そもそも、人を「使う」という言葉も苦手で。

AIを「使う」はいいけど、「人の代わりに」という言葉がついているのが気になる。

こういう言葉って、意識的じゃないにしても、

その人が無意識に思ってることがそのまま出るんじゃないかなあと思っています。

従業員のことを大切にしてたら、この言葉、出るのかな、と。

日本に、生産性という言葉はそもそも合わない

欧米であれば、「従業員の代わりにAIを使う」のは当たり前の発想かもしれません。え、何が問題ないの?と思う方も多いでしょう。

私は正直、「生産性」という言葉は日本には合わないと思っています。

というのも、長年日本の会社は「メンバーシップ制」を採用していて、

そもそも「生産性」で人を判断していないからです。


これにはもちろん悪い部分もありますが、

長年培われた文化であることは間違いないです。

だからこそ、「従業員の代わりにAIを使う」という言葉に

私は敏感に反応してしまったのかもしれません。


とはいえ、そんな綺麗事は言ってられず、

最小限の資源で大きな利益を生み出すことが

会社存続に必要なのはわかっています。

生産性が低いまま、従業員が苦しんでいる会社はなくなったほうが良いと思っています。

一方で、「人を大事にしつつ、生産性も上げる」という

めちゃくちゃ難しいことをやられている経営者もいるのは、

本当に尊敬します。


私はそんな器用なことができないため、組織を離れ、ひとりを選んでいます。

人ありきの考え方

以前、「ゆっくり、いそげ」という本を読んだときに、

「組織の役割に人を当てはめていくのではなくて、

たまたま知り合った人たちと一緒に仕事を作っていく

という箇所があって、

とても共感したのを覚えています。


従来の組織とは、ましてや人を部品としてみる考え方とは、真逆なんですよね。まず、人ありきという。


この「たまたま集まった人たちでなにかやってく」考えであれば、「人の代わりにAIを使う」という発想はないはずです。その人達の「やりたいこと」がまずあって、AIはそのツールになるしかないからです。


私は、こういった「偶然性」「自発性」をもっと働き方に応用できたらいいのに、と思います。

役割がきちっと決まってて、そこに当て込まれるだけであれば

どうやっても部品的な扱いになり、いつAIに代替されるかわからないですよね。


「AIを人の代わりに使う」ということを考えなくても良い

ひとり仕事ができることに、今は感謝しています。


ここ数年で大きなインパクトを与え続けているAI。ただ情報に流されるだけでなく、モヤッとしたことをきちんと言語化することもしていきたいと思っています。

編集後記

一昨日は、数年ぶりに外資系企業に勤めていたときの先輩と再会。

その方も税理士なので、一緒に税理士会の総会にも参加しました。

色々と共通点が多いので、とても楽しい時間を過ごせました。

昨日は、税理士の方から個別相談。

独立に関するものもあり、「今だったらどうするか」思っていることを伝えました。

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