とっ散らかっている自分でよくなった

とっ散らかっている自分でよくなった
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興味あることがたくさんあって、

言ってることが首尾一貫できなくて、

とっ散らかってる人間だなーと思うときがあります。

何か一つに特化して猪突猛進…そういった人生もかっこいいけど、

とっ散らかってる自分でもいいかな、と最近は思っています。

*最近はじめたレコード生活

noteは完全趣味の発信

4か月くらい前から、noteを始めました。

仕事用にやってる人も多いですが、私は今のところ完全趣味用です。

(今後メンバーシップなど始めるかもしれませんが)

有料記事もありますが、センシティブな内容の記事を公にしないために設定しています。


元々(偏っていはいるけど)好きなことは多いので、

マニアックなことも思う存分書きたいなあと思い

始めました。

このブログは自分の価値観や仕事へのスタンスを中心に書きたいので。


最初、趣味だけで続くかなあと思いましたが大丈夫でした。

なぜかというと、私は色んなことに興味があるとっ散らかった人間だからです。

写真、旅、読書、絵、ピアノ、手作り、北鎌倉…これだけで永遠に書けます。

そんな人間にとって、100%趣味と割り切った

発信ができるnoteは、最適でした。

色んな自分がいたっていいじゃない

自分のことを魅力的に見せていく

ブランディングでは、

「自分を表す言葉」「ストーリー」

などが大切にされます。



これはこれで、特に起業したばかりの人には必要だと思います。

まずは「何ができるのか」を見せていかなければ、依頼してもらうことが難しいからです。


とはいえ、こだわりすぎるのも危険かな、と思っています。

最近読んでいる平野啓一郎さんの「私とは何か」という本に、

「本当の自分はひとつじゃない」(「分人」の考え)

と書かれていて、すごく納得感がありました。



目の前の相手、文脈、そして状況によって人格が変わるのは当然だし、

そんなときに「本当の自分ってなんだろう」なんて思わなくていいんですよね。

家族の前のくだけた自分、

お客様の前の真面目な自分、

友達の前のふざけた自分、

違っていても、全部、自分なのだから。


そう考えると、「自分の強みを生かそう」という考えもちょっと危うくなりますよね。

人によって、文脈によって、強みは変わるとも言えるのだから、

その人固有の強みなんてものは実は存在しないのかもしれない。

というか、文脈や状況によって「にじみ出る」くらいのものなのかもしれない。

一貫していない自分を楽しむ

私も分人の最たる人間と自負しております。


AI・デジタル化で効率化!のテーマでセミナーを何回もやってるのに、

私生活では種から野菜育てたり、買えば一瞬で手に入るバッグを手作りするとか超非効率好き人間。



ひとりが好き!ひとり行動最高!とか言ってるのに

誰かと会うのは意外と好きで、対談やったりしてるし。



「ペーパーレス」がテーマの連載をしているのに、

実は紙に絵を描くことが大好きだったり。(下手ですみません)



なんなんだ、私は。と書いてて自分で思ってきました。


人はこういった「矛盾」に悩んだりするけど、

いいんじゃないでしょうか、

こういうときは自分A、

こういうときは自分B、

という感じで。

むしろ首尾一貫した自分でいようとするほうが非現実的なんじゃないかな、と思うんですよね。


これからも、

とっ散らかって、まとまらない自分を

楽しんでいこうと思います。

編集後記

先週は、お客様との打ち合わせが多い一週間でした。

金曜日は田町のお客様のオフィスへ。

東京タワーが見える素敵な場所で、

私が書いた本(一冊は共著)を棚に見つけたときは

とても嬉しかったです。

最近のあたらしいこと

お客様の新オフィス