過去に自分が開催したセミナーを見たり、

過去に自分が書いたブログを読むと、

自分が変化していることを感じます。

 

話すことはどんどん変わっていい。

人は変化していい。と

考えています。

※独立したばかりの頃

 

毎回同じことを書けない・話せない

セミナーでは同じテーマでも

毎回話す内容を変えています。

厳密には「変えずにはいられない」

んです。

 

というのも、

自分が過去に作った資料を眺めていると

「これ話した方がいいな」

「この情報要らないかも・・」

と色んなダメ出しが出てくるんですね。

 

過去の自分のブログを見ても

「何書いてるんだか」と、

恥ずかしいと思う時があります。

 

でもそれは過去の自分が「間違っていた」

わけではなくて、単に自分が「変化した」

だけだと考えています。

 

一方、情報(自分で作った資料、ブログなど)は

そのまま。

 

ギャップが出て当然ですよね。

 

人は日々変化していくもの。

「あの人は、変わらないね」

は良い意味に使われることが多く、

「あの人のいうことは、すぐ変わる」

は悪い意味で使われることが多いです。

 

ただここで子どもを考えてみると

景色は変わります。

 

子どもって、5年会わなかったら別人じゃないですか。

それと同じように、

大人だって見た目はそんなに変わらなくても、

数年で中身がまるっきり変わってしまうことも

普通にあるんじゃないかと。

その「変化」に正しいも間違ってるも

ないんじゃないかと考えています。

 

変化することを恐れないようにしよう

ちょっと話は飛びましたが、

過去の自分と今の自分の言っていることが

違っていてもそんなに気にする必要はないと考えています。

 

むしろ、日々考え続けて

変化しないほうが難しいと思いますし。

 

例えばわたしは10年くらい前までは

正社員としてバリバリ働いて、

年収600万円は最低限稼がなきゃ

経済的自立できない、

自分の価値が認められない(勝間和代さんからの影響)

と本気で思っていました。

 

いまはまるっきりそんなこと考えていません。

人の稼ぐ力と価値なんて全然結びつけていません。

 

自分が変化すれば、

周りにいる人も当然変わるのが普通です。

 

今この時点で気の合う人でも、

数年後には離れている可能性があります。

でも、それでいいと思っています。

気が合わないのに無理にいても

自分も、相手も辛くなるでしょう。

 

自分の変化、他人の変化いずれも

恐れずに生きていくのが

ストレスない生き方です。

 

編集後記

昨日は、雨の1日だったので

家で懐かしい映画(ターミナルとか)

をNetflixで。

 

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