[お勧め本]もの食う人びと、反逆する風景 辺見庸著
7/192016
カテゴリー:本
日本には今グルメ本があふれかえっていますが、食のルポタージュとして貧困地を回った記録を残した異色の本を2冊紹介します。
一つ目が、辺見庸さん著「もの食う人びと」です。
共同通信社の記者であった辺見庸さんが、地下鉄サリン事件が起きる直前の1994年に、各国を回って、そこで暮らす人々の食に関するあらゆるエピソードをまとめた本です。
ただのグルメ本ではなく、むしろ食べることが日常的にできない、最貧国を中心に回っていることから、食に関わる本としてはかなり異色な部類に入ると思います。
バングラデシュの残飯市場、ソマリアの食べる力もなく飢えて死を待つだけの少女、原発事故のあったチェルノブイリからほど近い町で放射能に汚染されているかもしれないものを食べる人々等・・
この本では、著者は極力感情に訴えることはやめて、淡々と事実を綴っています。
飽食の日本で暮らしている自分にとって、衝撃的な内容で、考えさせられた本でした。
そして、もう一つの本がこの「もの食う人びと」を補足した「反逆する風景」です。
前作「もの食う人びと」が、新聞に連載されていたものであることから、広範囲の読者を想定して表現上抑制されていたものに対して、こちらの本では著者の心情がかなり暴露された内容となっています。
個人的には読んでいてこちらが気に入りました。
実を言うと、私はあまり日本のテレビでよく放映されているグルメ番組に興味がありません。(テレビ自体あまり見ないのですが・・・)
特に、大食い大会といった類の番組は生理的に受け付けられずに、すぐ消してしまいます。
なぜなのかは理由がいまいち分からなかったのですが、この本を読んで「あ、これだ!」と思いました。
以下は、ソマリアの首都、モガディシモで食べる力もなく、声も涙もでなく、ただ死を待つだけの14歳の少女や、ウガンダの末期のエイズ感染者に接した著者が日本に戻ってきてグルメ番組を見たときの記述です。
「奇妙である。お菓子やラーメンやホットドッグを胃袋がはち切れんばかりに食らう日本人の顔に、私はいまわの際の、しかし必ずしも聖ならざる苦悶を見る。飽食の土台に好き好んで虚構の枯渇をこしらえて、さらには大食を競って苦しむ。不思議きまわりない。いまはたらふく食えるこの国には、途方もない精神の飢餓が広がっているからであろうか。」(p.56)
食べ過ぎて、苦悶にあえぐ人の顔は、食べるに食べられない人の、これから死にゆく人の聖なる顔とは違い、醜く歪んでいる、その理由は精神の飢餓なのではないか、と著者は言います。
著者は、続けます。
「つまり、こういうことなのだ。最高のイクラだろうがキャビアだろうが、毎日バケツ一杯食わなければならないとしたら、これはもう拷問でしかない。汗みずくの採炭作業後に飲んで感激したスープでも、無為徒食の日々に食したら必ずしもうまいとは限らない。病中の私に「命の水」とまで思わせた生姜入り紅茶とグレープフルーツの汁は、むろんいつも必ず「命の水」ではありえず、おおかたは自動販売機の缶入りジュースとでも代替可能なのだ。食われるものそれ自体が、食う主体の諸条件を離れて絶対的に美味であるわけがない。」(p.82)
書かれていることは、至極当然のことかもしれませんが、私にとってははっとする文章でした。
テレビで紹介されているような、5つ星のレストランが提供するようなすばらしい食事も、病気に冒されている人にとっては美味しいものではありません。逆に、最近私が砂糖と塩を間違えて塩を入れて作ってしまった肉じゃがも(ショックでした・・)息子は食べてくれませんが残飯市場のあるバングラデシュでは受け入れられるでしょう。
食べる主体となる私たちの環境によって絶対的に美味しい食など存在しないのに、なぜこの国では絶対的な美味しさにこだわる(行列ができる、とか星がいくつとか)風習があるのでしょうか。
その原因は、辺見さんの指摘するとおり、飽食の時代における私たちの「精神の飢餓」に起因するのでしょうか。
「本当に心から美味しいと思えるもの」は、行列してまで食べるものではなく、体が本当に欲している食べ物ではないかと私は思います。
ただSNSで披露するだけの特に好きでもない高級料理、時間がないからと言ってサラリーマンがほとんど噛まずに食べるコンビニ弁当、若い女性がダイエットのためにと食事代わりに摂るサプリメント、ダイエット食品・・なんだか歪んでいる気がしませんか。
飽食の時代は、体が欲しているセンサーを鈍くさせてしまったのではないでしょうか。
食べ物を残すことが当たり前となっているこの日本で、食に対する意識の転換が求められているような気がします。
編集後記
週末はとても良い天気でしたので、みなとみらいへ。
珍しく桜木町の駅前にある船が帆を張っていました。
動く歩道でおじさんたちが同じ姿勢で写真を撮っていました(笑)