学びの定義を、変えたほうがいい
11/182024
カテゴリー:コミュニティ
先日、私も実行委員を努めた「学習コミュニティフォーラム」というイベントに行ってきました。
複数のコミュニティが集まり、学びを共有し、いろんな人と交流し、コミュニティのコミュニティを作ろうという趣旨のイベントでした。
とても刺激的で、書ききれないくらいのものを得られたのですが、
今日は「学びの定義を、変えたほうがいいのでは?」
ということを書きます。
学び=机の前に座ってやること?
「日本人は学んでいない」と言われます。
国際比較でも、日本は極端に勉強時間が少ない、という統計が出ています。
でもこれってそもそも「学びの定義が画一的」だからなんじゃない?
というのが基調講演をしていただいた法政大学の石山恒貴先生の意見でした。
「学び=机の前に座ってひとりでコツコツやるもの」
という思い込みが頭にあるのでは、と。
「学び=つまらない、でも我慢してやるもの」
という考え方が、学生時代から刷り込まれているということ
なんですね。
これは、本当に納得だなあ、と思います。
つまらないことだったら、避けるのは当然ですよね。
学びの範囲はめちゃくちゃ広い
でも、そうではないと。学びって実は楽しいんだよ、と石山先生はおっしゃってくれました。
石山先生の講演で印象的だったのが、
「え、それも学びなのか」
とハードルが下がったことです。
例えば、育児休業することも立派な学びとおっしゃっていました。
石山先生が提唱されている「越境学習」は、
普段いる場所(ホーム)と言葉が通じない場所(アウェイ)を行き来する
こととされています。
確かに、これに当てはめれば育児はめちゃくちゃ学びになるはずです。
なんせ、相手は言葉の通じない子どもですから。
部下に「あ、あれやっといて」と言って済むものじゃないですし。
でも「正解」がわからないからこそ、楽しめるとも思うんです。
あと、「色んな人と飲み会する」も学びとおっしゃってたのが
面白かったです笑。
私のコミュニティでも、
「遊んでるんだか学んでるんだかわからない」
イベントをよくやっています。
(最近はChatGPT使って拙い英会話をするという遊び?学び?をやりました)
遊びと学びの境界線をなくすことで、学び=楽しむこと!に変わることができるはずです。
「普段ひとり、たまにみんな」で自由に
すごく親近感を持ったのは、
「ゆるキャン」というアニメを例に出していただいたことです。
私はこのアニメを知らないのですが、
普段はソロキャンプを楽しんでいる女の子が、
たまに出入り自由のグループキャンプにも参加して
楽しんで、学ぶといったお話のようです。
「あ、これ結NITY(私がやっているコミュニティ)と似てるじゃん!」
と感じて嬉しくなったんですよね。
私のコミュニティも、「普段ひとりで働いているけど、
ときには集まって悩み相談したり、交流して、ともに学ぶ」こと
をしているためです。
いいな、と思ったのが、
グループキャンプをしている女の子たちも
ソロキャンプが好きな女の子に
決して参加を強制しない、ってことなんですよね。
これってコミュニティ運営ですごく大事なことだと思っています。
「このコミュニティでは◯◯を目指すゾー!だからみんな参加してくれい!」
と熱くなりすぎると
メンバーの方も「やらされ感」がでちゃうのかな、と。
他のコミュニティの登壇者の方も言ってましたが、
「自分を変えたい、学びたい、と思ってコミュニティに入ったわけじゃなかった。なんとなく興味があったから入った。でも結果的に自分が変わっていった」
が理想なんだろうなと。
この「入ってどうなるかわからない」も、
コミュニティの醍醐味なのかな、と思っています。
まとめ
大きな気付きとなった学習コミュニティフォーラム。
特に、「学びの定義」については石山先生の講演をきっかけに、あらためてハードルを下げることができました。
それにしても、こんな魅力的な先生がいる大学の受講生の皆さんが羨ましいです!
最近のあたらしいこと
TIME SHARING 飯田橋 第二東文堂ビル
学習コミュニティフォーラム ノンプロ研その他のコミュニティの方たちと交流
飯田橋、久しぶりに来ました。曙橋、市ヶ谷の間くらいに実家があるのでここらへんは馴染み深く、懐かしかったです。