音声入力が合わなかった理由
私は書く仕事をちょくちょくしています。
その中で、
「音声入力(話したことを文字起こしする)が執筆に効率的」
ということを見聞きし(勝間和代さんが最初だったと思います)、
以前から何度から試しているのですが全然合いませんでした。
その理由がなんとなくわかったので書いてみます。

書きながらじっくり思考をまとめているから
「書く」と「話す」の大きな違いは、「即時性」だと思っています。
話したことがそのまま文章になるのは確かに効率的なのですが、
書く行為のように立ち止まって考えることが難しい。これが音声入力が苦手な理由です。
もちろん、多少文章が荒れても後から直せばいいのかもしれませんが、
だったら最初から考えながら立ち止まりつつ書いた方がいいのかな、
という考えです。(特に私は「話しながら思考を収斂させていく」ことが非常に苦手ですぐに言葉を散らかすので、なおさら…できる人はすごいです)

*手書きノートにじっくり文字を書くのも好き
メタ思考を持ちたいから
話していると、どうしても一方通行になりがちです。
書くことと比べるとよりエモーショナルになりやすい気がします。
すると、様々な角度からツッコミを入れ、メタ的に眺める自分が消えてしまう危険性があると思っていて。
書く場合であれば、立ち止まれるので「あれ、こういう反論もあるな」と考える余裕もあるけど、話してるとそういう余裕を持つのが難しい気がします。台本ありきになってしまう気も。

*すぐとっ散らかるYouTube。話した内容を文字起こしすることもない
あと、話す場合と書く場合とでは言葉の使い方も変わるかなあと思うんですね。
話す場合はどうしてもラフになる。書く場合は、じっくり考えながら言葉を紡ぐのでより洗練されたものになる。そう考えています。
言葉の強度を保つためには、じっくり自分の手を動かして書くのが一番と考えています。
書くことに効率性を求めていないから
あとそもそもですが、書く仕事は多いと言っても、そこに効率性をあまり求めていないのもあります。
(超人気ベストセラー作家とかではないですし)
むしろ書くことによってお清め?みたいな境地に入れるのでむしろ時間をかけたい派です。

*読書も同じスタンスで、速読にあまり興味はなく
話す、書くそれぞれの良さがある。だからわける
話すより書く方が意義がある!と言いたいわけではないです。ただ、両者は全くの別物かな、とは考えています。
最近だと、AIが話した言葉を「文字起こし」する精度が非常に上がり、
書くことが必要なくなった!と言われる方も多いけど
私は両者は全く違う意味のある行為だと思っているので、わけたいと思っています。
話すことの意義は、その場の空気やニュアンスを伝えることだと思っています。文字にしてしまうと、それが消えてしまう。
すべて口語だけで伝えた古代ギリシャのソクラテスが心配してたのはそこじゃないかな、とも。文字に固定されてしまうことで消えてしまうものを恐れたのでは。
対談本などもちょっと苦手で。読んでいてもあまり思考が広がらないんですよね、不思議と。オリジナルが口語であるなら、リアルな音声や動画で味わいたいなあと思っています。
書くことの意義は、書くことそのものにあると考えています。色んな自分を抱えながら紡ぎ出す言葉によって自分の考えを浮き上がらせていく。書きながら自分が変わっていく。その熱量は自分だけでなく読んでいる人にも伝わる気がしています。そんな感覚を味わいたいから非効率でも手を動かして書くことにはこだわりたいなと思っています。

デジタル好きなと書きながら、手書きも大好きだったりするので本当に相矛盾する人間だなあと思っています(^^;;
まとめ
音声入力、何度か挑戦したけど全然ダメだっと理由を自分なりに考えてみました。
もちろんこれは特性もあるので、できる人はできると思います。私には合わなかったというだけでした。
私にとっては話す・書くは全く別の行為なのでこれからも分けていきたいと思っています。
編集後記
2月出版予定の本のチェックがようやく終わって一息。
一冊の本をだすのって本当に(関係者含め)大変だな、、、と久しぶりに感じました。
少し遅めのおせちを実家にて。元気にみんなで新年を迎えられるだけで満足です。

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