「会社」って考えてみたら不思議な存在です。

人でもないのに、「法人」なんて人格も与えられていますし。

「我が社は…」

「うちの会社は…」

という人がいますが、

結局のところ小さな小さな個人の集まりなんですよね。

今日は、そう感じたエピソードを書いてみます。

※会社がひしめく東京

買収される会社にいたことが2回ある

私は、買収される会社にいたことが2回あります。

1回めは、小さな半導体の外資系企業に勤めていたとき。

その業界ではトップに近い会社に買収されました。

買収される雰囲気、ってなんとなくわかるんです…

物々しい外国人社長とそのお供たちがたくさん現れ、

「Acquireが…」(アククワイア=買収)と話しているのが聞こえて

状況を理解しました。

2回目は、医薬品・化学品製造をしていた会社で。こちらも外資系でした。ある日、経理部長が「買収されちゃったねえ、あはは」とパーテーション越しに電話でしゃべっていて、知りました…

ある日突然、自分がいた会社が買われる。今思うと貴重な経験をしたなと思っています。

買収される側でしんどかったこと

残念なことに、その2回とも良い買収ではありませんでした。

外資系だから、というのもあるかもしれませんが

買収が決まった途端

誰がやめさせられるんだ?」と社内ではピリピリモードに。

それでも、オフィスの解約やら経理の統合やらやることはたくさんあり。

私が所属していた経理も

「全員引き継がれる」なんてことはありませんでした。

どうなったかというと…

一旦買収側に入社したものの、

他の会社のM&A要員として繰り出され、その後は用が済んだので解散!(つまり解雇)

になりました。

買収した側の人たちは、終始「受け入れ」モードではなく、

「用が済んだら終わり」なドライモードでした。

人として見てもらえない

ことが、しんどかったですね。

個人の集まりなのだから、信頼蓄積に時間がかかるのは当然

なぜこのエピソードを思い出したのかと言うと、

日本でも最近M&Aが増えて、私も今ちょうど関わりがあるからです。

私が経験したM&Aは特殊で、

切り捨てではなく、前向きなシナジーに向けた合併も多いのだなと実感しています。

それでも、一番時間がかかるのは「人」なんですよね。

手続きとか、そういったことはなんとでもなるけど、

「人」の問題だけはテクニックだけではなんともならないです。

今はSNSなどのようにインスタントな人間関係が多いので

それに慣れてしまうと

会社と会社が合併するような、0から構築する泥臭い人間関係はしんどいかもしれません。

でも、本来人と人の間に信頼を蓄積するのはものすごく時間がかかるし、面倒なことなんですよね。これは会社だけでなく家族はもちろん、友人関係、コミュニティ、地域のあつまり、なんでも言えることで。そこを忘れちゃいけないと思います。

私達を切り捨てた会社がその後どうなっているか知りませんが、

少なくとも私自身は、時間をかけて周りの人と信頼を蓄積していきたいと思っています。

編集後記

昨日は、oVice(バーチャルオフィス)を使ってコミュニティのみなさんとアイデア出し。

自分では思いつかなかったアイデアも出て、やっぱりひとりで考えないことって大事だな〜と思いました。

最近のあたらしいこと

oViceでミーティング、Canvaのホワイトボード機能

« »