30代の終わりに 「40にして惑わず」はとどまらないという意味に都合よく考えます
7/252018
カテゴリー:近況・お知らせ
想像していた40代と全く違う
本日で40歳の誕生日を迎えました。
40代というと、一般的にはある程度落ち着いた年齢というイメージがあるのではないでしょうか。
私も10代の頃は、40代の女性のイメージは、
- 子育て真っ盛り
- 少し外で働いて基本家でゆっくり
- 近所づきあいをうまくやりつつ家事もきちんとこなす(サザエさんの影響?)
という感じでした。
しかしいざ自分が40歳になってみると、
- 子供に構っていられないほど自分に手一杯(仕事もプライベートも)
- 基本家でゆっくりしていない(家で働いている)
- 近所づきあいしてない(外でない日ある)、家事テキトー
という感じで全然想像していたのと違う生活をしています。
特に40歳になる今年は、「リセット」、そして「スタート」とも言える年でした。
- 人間関係をリセットした
- 価値観を変えるような出会いがあった
- 15年間住んでいた場所を離れた
- 自分の名前をネット上以外にも公にした(書籍2冊出版)
40歳で「リセット」、そして「スタート」というのもおかしいですが、少なくとも「ゆっくり」「安定」していない日々を送っています。
「四十にして惑わず」を都合よく捉える
論語に、有名な「四十にして惑わず(不惑)」という言葉があります。
この言葉は四十にもなれば迷いがなくなり、今までしてきたことを糧に自分の信念にしたがって生きてゆける、という意味が一般的です。
ただ、この惑わずの「不惑」は、実は「不或」だったという説もあるようです。
「或」という文字は特定の範囲を表すので「四十にして惑わず」は、「従来からの考え方に固執しない、とどまっていてはいけない」「壁を突き破っていけ」と解釈する説があるようです。
自分に都合の良い方に考えるとこの後者の説はしっくりきます。
どう考えても今この四十の時点で「惑わず」行動することなどできません・・
今の場所にとどまることも考えられません。
なりたい自分になるためには「捨てる」ことが必要
特にこの1年間は、なりたい自分に近づくためには今まで持っていたものを「捨てる」必要があることを思い知らされました。
人は自分を変えようとするとき、現状を維持しながらという「保険」を考えがちですが、それだと本当の意味で自分を変えることはできないと思っています。
なりたい自分に近づくためには、今まで持っていたもの潔く捨てる必要があると考えます。
こういった「捨てる」、「始める」を繰り返しながら今後も決して安住しないフラフラな40代を送るのだろうなあ、という予感です。
まとめ
もうちょっと落ち着いた(?)40代を想像していましたが現実は・・「この歳になってこんなことで悩むのか自分」ということばかりです。
ただ、また都合よく考えると人生100年、まだ半分もいっていないのだから今から落ち着いても仕方ないと思っています。
特に不安定な独立という形を選んだ私にとって、フラフラな人生は覚悟してます。
編集後記
引越し前のマンションの掃除に行きました。
窓からの景色は、高層ビル、高速道路、国道、線路、そして大型クレーン車。。便利なところではあったけれど、もう住めないなと思いました^^;
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