クロノス時間とカイロス時間。私の1年が長い理由。
1/202025
カテゴリー:時間の考え方
時間の概念として、「クロノス時間」と「カイロス時間」というものがあります。
この2つはギリシャ哲学に由来する時間の概念で、
- クロノス時間…計測可能な時間。今世の中で一般的に使われている時計やカレンダーで測れる時間。客観的。
- カイロス時間…質的で主観的な時間。計測できるものではなく、その時間が持つ「意味」や「価値」に注目する。主観的。
といった違いがあります。
私が重視しているのは、後者のカイロス時間です。主観的な時間を増やすことにより、時間を長く感じることができます。
※自分にとって価値ある時間を増やす!
1年があっという間である理由
大人になると「1年があっという間」と言われます。
よく聞く理屈では、5歳の子にとっての1年は1/5(20%)だけど、50歳の1年は1/50(2%)だから1/10ということで早くすぎてしまうというものです。
とはいえこれは先程の概念でいうと計測可能な「クロノス時間」だけで考えた場合ですよね。
本当の原因は、「初めてのことが少ない=変化が少ない時間ばかり過ごしている」からだと思っています。
つまり、先程の概念でいうとカイロス時間の特徴である「意味」「価値」が薄い時間だから早く感じるんじゃないかと思うんですよね。
カイロス時間を増やすために工夫していること
子どもであろうが大人であろうが、自分にとって意味や価値のある時間を増やすこと。それこそが満足いく時間の過ごし方なんだと思います。
とはいえ、「意味や価値のある時間」って??ととまどう人も多いでしょう。
私がしている工夫は、非常に簡単でして、下記の2つのことだけです。
まずは、「初めて」を増やすこと。
大人になってからも、それはいくらでもできますよね。
幸いなことに私はフリーランスなので、
日々の時間のコントロールがしやすいです。
例えば、出張へ行ったときはただ日帰りするのではなく
2泊、3泊して初めてのところへ行くようにしています。
※初めて行った原爆ドーム
もちろん、新しい仕事に挑戦しますし、
新しい人との出会いも大切にしています。
もう一つの工夫は、「なるべく、時計を見ないで暮らす」。
ちょっと何言ってるかわからない、と思う方も多いかもしれませんが
時計だとかタスク管理だとかに縛られるようになったのって中性から近代にかけて時間の計測技術が上がったからなんですよね。(ジャック・アタリ「時間の歴史」より)
そして産業革命以降、時間が商品化されて「時給」なんてものが始まってしまうという。
それ以前は、時間は神聖で宗教や儀式と結びついていたし、そもそも電気なんてないので暗くなったら活動は停止したわけで。
人間の身体なんてそこまで進化してないのだから、それで(朝明るくなったら起きて、夜暗くなったら寝る)いいじゃん。と思うのです。
というわけで、私はここ数年目覚まし時計は使ってません。朝目覚めたら起きる。メルマガ書いて体操して筋トレして外走りに行く。これはもうずっと続けているルーティーンです。
※朝の鎌倉・小町通りは人が少なくて気持ちいい
日中は、なるべく予定を入れずに、仕事に集中して好きなところへ行って暗くなったらリラックス。
そんな原始的な1日で満足しています。結果的に、1日を長く過ごせてる気がします。
常に時間を気にする人生なんて送りたくない
満員電車に乗っていた頃、
改札でブザーが鳴ったときに思いっきり舌打ちする人とかが苦手でした。
そこまでして時間に追われて、イライラして、行かなきゃいけないところなんですか?それってそんなに価値あることなんですか?と思ってました。
私は、平日もなるべく予定を入れずに好きなところへ行き、好きな人に会うようにしています。
↓つい先日もコミュニティメンバーに会ってインタビュー
先程も書いたように、客観的に計測できる時間に縛られている限り、
人はほんとうの意味で自由になれない気がしています。
計測できる時間を確保しても、
それが次の拘束時間へと連続するものであったら楽しめない。
週休2日が3日になっても私にとっては意味ないんです。誰かにコントロールされてる限り。
独立は、意味や価値を考えられるカイロス時間を取り戻すチャンスです。
編集後記
金曜日は、コミュニティメンバーのインタビュー企画のためにみなとみらいへ。
(コミュニティブログにも様子を書きました)
いやー楽しかった。人の人生を知ることは、自分の人生を再発見することでもあります。またこういう機会、設けたい。
最近のあたらしいこと
アニヴェルセルカフェ みなとみらい横浜