働くを「労働」じゃなく「価値提供」と考える
3/272018
カテゴリー:My働き方改革
労務の仕事に関わると、「労働」という言葉がたくさんでてきます。
「労働」という言葉は個人的に苦手です。
きつい、辛い、我慢するもの、というイメージがあるからです。
最近問題に上がっている「裁量労働制」の言葉にも違和感があります。
裁量があるのに、労働する。なんだか相容れない言葉が続いていて落ち着かないです。
「ワーク」(労働)ではなく「サービス」(価値提供)が腑に落ちる
そんなことを考えているところ、ワーク(労働)ではなく「サービス」という言葉が下記の本で使われていて
腑に落ちました。
〈働く〉とは、お金をもらって何かをするということなのでしょうか?
例えば、「子育て」は誰からもお金をもらっていませんから、〈働く〉ではないと考えるのが一般的です。
(省略)このように、少し考えるだけでも〈働く〉という定義は難しいものです。経済効率だけでは測れない職業もたくさんあります。
例えば政治家は、一義的には〈働く〉でしょう。
しかし、皆さんもご存知だと思いますが、英語では「ワークで」ではなく「サービス」という言葉を使います。
軍人もサービスです。
彼らは給料としてのお金はもらいますが、一生懸命働いたほうがお金をもらえるという意味のサービスではありません。
労働という言葉は、統治する人間(雇用者)と、統治される人間(労働者)がいるという前提があります。
その点、「サービス」という言葉は働く側が誰かの統治下に置かれるのではなく、自主的に行動を起こすイメージがあります。
サービスを日本語に訳すと、奉仕、役に立つこと、有用、助け、尽力などです。
必ずしも「お金」という対価が前提となっていないことに気づきます。
「お金のために働く」は考え方の1つに過ぎない
とあるNPO法人を運営されている方の話を最近聞くことができました。
その法人では雇用契約を結ばず、その都度お手伝いという形で参加してもらっているそうです。
かけた時間に比べればほぼボランティアですが、参加する人たちは誰も文句を言いません。
その人達からしてみれば自己実現のために活動に参加している部分が大きく、お金が目当てで働いているわけではないからです。
とあるオンラインサロンは、参加者がお金を払って、更に運営までします。
主催者や、他の人達との交流を図ることが主な目的だからです。
このように、お金に換算できない価値を得るためにお金を払って働く人もいます。
「お金のために働く」という考え方は、「労働」という言葉も影響しているのではないでしょうか。
資本主義の行き過ぎによってこのような考え方が一般的になっているのだと思っています。
そういう考え方自体は否定しませんが、
個人的には、お金という「手段」のために働くというのは本質的に違うと思っています。
働く=価値提供、と考えれば仕事が楽しくなる
働くことを「労働」と捉えてしまうとノルマをこなさなければいけない、片付けなければいけない、従わなければいけない・・と辛くなってしまいます。
「働く」は、もっと広い概念だと思っています。
なにもスーツ着て、満員電車に乗って、オフィスに行って、毎月決まったお給料をもらう人達のことだけではなく
家で子育てをしている人、ボランティアを行っている人、近所の子供達の見守りをする人、
など、
お金にかかわらず価値提供をしている人たちの行動も含まれます。
子育ては、それだけで社会貢献です。
ゴミ拾いをするボランティアの方たちは、歩行者が街を気持ちよく歩くことができる価値を提供しています。
近所の子供達の安全を守る人は、親に安心を与える価値を提供しています。
価値を提供できることこそが「働く」の本質だと思っています。
いくら売り上げた・稼いだではなく、価値提供をどれだけできたか、が重要だと思っています。
「労働」という言葉は捨て、「価値提供」を意識して働いてみましょう。
まとめ
「労働」という言葉は時代錯誤だなあ、と最近思っています。
法律上使われているので仕方ありませんが、自分が使うときは「価値提供」と置き換えてみましょう。
「自分の仕事は、どんな価値提供をできているか」
を考えていくと「労働」という言葉から開放されて主体的に行動できるのではないでしょうか。
編集後記
昨日、今日とひとりで温泉プチ旅行してきました。
非日常を束の間ですが味わえました。
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