以前、ある大手企業に派遣社員として勤務していたときのことです。

金曜日の夕方に同じく派遣社員の人に

「あと1時間で週末ですね~!もう少しの辛抱です。頑張りましょう!」と言われました。

そのときはなんとなくモヤモヤ感が残ったものの

「きっと、(私と違って)仕事後の活動が充実しているんだろうな。」と思いました。

でも今ふと思い出してみると「時給」で働くことの生産性の低さをそのとき目の当たりにしていたのです。

「会社にいること」が仕事?

前述の方は、きっと「仕事=決められた時間内に決まった場所にいて、決まった仕事を辛抱してすること」という図式があったのでしょう。

時給で働く場合、決まった仕事が終わったとしても決まった場所にいなくてはなりません。

賢い人だったら決まった時間に終わるように仕事をわざと遅くしたりおしゃべりをしたり調整したりするかもしれません。

結果、決められた仕事しか時間内に行われないため、効率化など工夫をしない限り時間当たりのその業務の付加価値は上がりようもありません。

派遣社員だけでなく、正社員もこれは当てはまると思います。単位(派遣社員は1時間、正社員は一月)こそ違うものの、決まった時間に決まった仕事だけ行えばその対価として(生産性が高かろうが低かろうが)決まった給料は支払われるからです。

このように考えてみると、なぜ時給で働く働き方が労働生産性が低いかが分かる気がします。

時間が固定されているのは辛かった

以前私がまだ子供を保育園へ預けて働いていた時の事。

お迎えの時間が決まっていたため残業は基本的にできない状態でした。

しかし、前任者からの引継ぎが全くない状況の中業務を一人でこなさなければいけなく、どうしても時間が足りませんでした。

そこで、夜残業ができないから早朝(6:00頃)から仕事をして、定時に帰れるようにしてほしいと打診しましたが、結果は「No」でした。

理由は、管理職がまだ来ていないときに仕事をすると管理できなくなる、とのことでした。

仕方なく定時から猛スピードで仕事をし始めるしかありませんでした・・(結果早く終わってしまって定時まで空いたときもありました)

一方、逆に仕事の効率化を進めればどうしても時間は余ります。

もう「決まった仕事」が終わったんだから帰れればいいのに・・と何度も思いました。

時給で働くことの不便さを、身に染みて感じました。

 

「辛抱する」時間ではなく「成長する」時間であってほしい

これが従業員を雇う側だったらどうでしょうか。

以前の私のように、会社にいることが「辛抱すること」だと思っている人を雇いたいと思うのでしょうか。

もしそのように従業員に思わせてしまうくらいだったら、従業員を雇わない「一人社長」「フリーランス」の方向性を私は選ぶと思います。

私は今のことろ誰かを雇って、大きくして・・ということを考えてはいませんが、もし誰かと一緒に働くのであれば、少なくとも働いている時間が「辛抱する」時間にならないよう配慮したいと思います。

そのためには「時給制」はできる限りなくすべきだと思っています。

難しいかもしれませんが、報酬はやはり「仕事の価値」に対して支払われるべきだと思うからです。

社員一人一人が「成長した」と実感できる時給以外の働き方の仕組みを、就業形態(リモートワーク、在宅ワーク、請負等・・)とも合わせて考えていくべきだと思います。

まとめ

時給で働くことがなぜ生産性が低いのか、考えてみました。

きっかけは、元同僚に「あと〇時間の辛抱だね~」と言われたこと。

「仕事をすること=お金をもらうこと」と考えている方はそれで問題ないと思います。

しかし個人的には「辛抱」してまで大事な時間を使ってお金をもらいたいとは思えなくなりました。

真逆の立場にいるフリーランスであれば分かりやすいと思います。

「決まった時間内に、決まった場所で、決まった仕事」をしたところで収益が上がるという保証はどこにもありません。

だからこそ頭を使って考え、実行し、反省し・・を自分で繰り返していくしかないのですが、時給で働くことの何倍もの成長ができると私は思っています。

編集後記

今日は14回目の息子の誕生日でした。

段々とプレゼント選びが難しくなってきたので今回は金券(図書券)を進呈・・。

意外と(?)喜んでくれたようです^^;;

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