写真を撮ることがなんで好きなのか考えてみた

写真を撮ることがなんで好きなのか考えてみた
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写真を撮ることが好きです。

最近は憧れだった小型の高性能なカメラを手に入れたのでいつも持ち歩いています。

なんで写真を撮ることが好きなのか、あらためて考えてみました。

※季節外れのチューリップが咲いていたので

上手な写真を撮りたいとも思うけど

よく、インスタ映えするきれいな写真や、

写真家さんが撮るような芸術的な写真を見て

「すごいなあ」「美しいなあ」

と思います。


じゃあ、その人の真似をしてみようかと思うと…実はそうでもないんですよね。


よく、YouTubeなどで

写真が上達する方法として、

「お気に入りの写真家さんを見つけて真似しよう!」

と言われていますが意外とできてません。

「おおーなんかいい感じに撮れた!」

と思えることはあってもそれが一番の目的でもなく。

そもそも自分が「良い写真」と思ったものでも、他人からみたらそうでもないこともあるわけで。




以前、「下手だけど良い写真」ということを言っている写真家さんがいて、

あ、そうそうそういうの撮りたいな!と思ったんですよね。

だから、「上手な写真」は手段にはなりうるけど目的にはならない。

一番の理由は、「自分が自由に生きた証」

そこで、写真を撮ることの本質を考えてみました。

やってることって、すごく単純なことなんですよね。

被写体を決めて、背景や構図を決めて、明るさや色合いを決めてシャッターを押す。

人間の運動量としては少なく、とても短い瞬間です。




でも、その一連の行動にはすべて「判断」が含まれています。

これが、私が写真が好きな理由だと気づきました。

自分の力ではどうにもならないことだらけのこの世の中で、

写真は自分でコントロールできる部分が限りなく大きい。

「この目でみた景色を残したい!」と思ってシャッター切る瞬間だけは、人はめちゃくちゃ自由なんです。


ちょっと大げさですけど、それって、「自分が自由に生きた証」なんだなって思います。

100%能動的になれることって、意外と少ない

「なんだ、そんなこと」

と思われるかもしれません。


でも、これだけ能動的な行為って他にあるでしょうか。


ともすればわたしたちは毎日を惰性で過ごしてしまう。

決められた時間に、決められた電車に乗って、決められた場所に行って、昨日と同じ仕事をして…

それでなんとかなっちゃうんですよね。

でも「写真を撮ること」って、どこに行くか、被写体何にするか、カメラとレンズはどうするか…と、すべて自分次第なんですよね。とっても考えることが多い。大変だけど、これが楽しい。

私は人間の肉眼ではイメージできない望遠寄り(焦点距離75mmくらい)のレンズが好きです。

人間の目2つを合わせると焦点距離が25mm〜35mmのレンズと同じくらいで(スマホも大体このくらい)、

75mmはその3倍くらい。見える世界がぎゅっと凝縮されます。

そこで切り取る世界は本当に私だけのものなんだよね、と思うとすごくワクワクするのです。猫ちゃんも生き生きしてくる。




そして、自動でフォーカスするオートフォーカスではなく、自分でピントを合わせるマニュアルフォーカスが好きです。ボケたらボケたでそれも自分が見えた世界だからOK。




ここに、

「いいねされたい」

「フォロワーを増やしたい」

という雑念はないほうが、

私にとっては幸せです(もちろん、それを目指すのも全然否定しませんし、私もインスタ使ってますし)。

自分だけが見て満足する「フォトログ」も毎日続けています。




誰もがスマホできれいな写真を撮れる時代になぜ本格的なカメラで、手間をかけて撮るのか。

その理由は「能動的になれる瞬間を手に入れること」と、

あらためて気づきました。

まとめ

2019年頃から写真を始めて、はや6年。

腕はそれほど上がってないかもしれないけど、

楽しみはどんどん増えています。

写真に興味ある人が「やってみたいな」と思えたら嬉しいです。

最近のあたらしいこと

昨日は、以前お仕事でご一緒して、コミュニティでも勉強会をしてくれた、メンタルヘルス講師の船見敏子さんとXのスペース。

船見さんの新刊「結局、いいかげんな人ほどうまくいく 先入観を捨ててより良く生きるための60の習慣」の出版イベントということで「良い加減」人間としてお呼びいただきました!

約1時間、とっても楽しくお話できました。この本にも書かれている通り、「良い加減」は本当に、人生を楽しむための知恵だと思っています。