フォトログが楽しい

先月から、「『撮る』マインドフルネス」という本を読んだのを

きっかけに、フォトログ(写真を撮って、観察して、日記をつけること)

を始めました。

写真は、心を整えるために撮っている

 

「写真撮って日記つけるなんて面倒かなあ…誰にも見せないし、三日坊主になるかなあ」

と思っていたんですけど、

疲れている時は日記も一言で良いし、

下手でも家の中で撮った写真でも良いし、

誰にも見せないから飾らなくていいし、

と気楽さがあってマイペースに続けられています。意外と楽しい。

(「Notion」というアプリでカレンダー形式にして日記をつけています)

 

気楽に写真を撮り続けていたら、

自分の好きな写真がわかってきました。

 

自然と光ばかり撮っている

日記を見返していて、

「あれ、自然(木とか、水とか)と光ばかり撮ってる」

ということに気づきました。

 

特に、木の間からこぼれる木洩れ陽をよく撮っています。

 

フォトログを始めて、

気楽に写真を撮れるようになって

初めて気づいたことです。

 

というのも、ブログやインスタグラムなど何らかの

アウトプットに繋げようとすると何か意味があって綺麗な写真を

撮らなければという気持ちが働くのですが

フォトログはどこにも公開しないので

純粋に自分の好きなものを撮れているんだろうな、

と思うんですね。(木の写真とか、ブログ向きではない)

 

そういえば、疲れた時、ちょっとリフレッシュしたいときは

いつも木の近くに行って木洩れ陽を眺めてる気がする。

無意識にしていたことなので、新鮮な気づきでした。

 

自分の感性に気づくためには無目的になることが必要

無目的に撮ってしまっている写真は、

自分が本当に好きなものなんだと思います。

 

これが、

先ほども書いたアウトプットに繋げる、

ということを意識すると

途端に「綺麗な写真を撮らなきゃ!」

と力が入ってしまいます。

 

現に、無目的に写真を撮ってみると

思いのほか、多くの人に人気のあるブログやインスタ映えする

食べ物とか、生き物とかあまり撮らないんですよね。

それよりも、自然にばかり目がいく。

 

自分の感性(自分にとって本当に好きなものは何なのか)に

気づくには、一旦目的を忘れて

行動してみると良いのかもしれません。

 

「写真を撮る」という行為は

いまや誰でもやっていることだけど、

そこにはその人の感性が鋭く現れている。

そう思うと写真を撮るのも、観るのも、また楽しくなってきました。

 

まとめ

フォトログを始めてから、自分の好きな写真がわかってきた

ことを書きました。

 

「だから何、仕事に何の役にも立たないよ!」

と言われればそれまでですが(^^;;、

自分の好きなものを知っている、というのは

とても幸せなことだと思うんですよね。

 

編集後記

週末は名古屋、三重にプチ旅。

久しぶりに新幹線に乗って遠出ができて、

リフレッシュできました。美味しかった東海道弁当↓

 

最近のあたらしいこと

浄智寺にて初詣

 

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