自分がいる環境を相対化することの大事さ。

自分がいる環境を相対化することの大事さ。
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最近思うのは、自分がいる環境を常に相対化することの大事さです。

相対化、というとちょっと難しい表現ですが

簡単にうと

自分がいる環境(とそこにあるルール)を当たり前と思わないこと

です。

※定期的に越境する!

「おかしなルール」と思うためには外を知る必要がある

属している業界団体に対して、

「おかしなルールだなあ」

と思うことが多々あります。


ただ、この

「おかしなルールだなあ」

という思考を持つことは、

そこにだけどっぷり浸かってたらできないんですよね。


自分が置かれている環境について

ここがおかしい、おかしくない、

の判断基準を持つためには当然ながら外の世界も知る必要があって。

日本から出たことがない人が、

日本の良さ(又は悪さ)をあまり語れないことと同じです。

そういう理由もあって、私はなるべく自分の環境と

離れている人と接点を持つようにしています。

独立したのも自分がいる環境を相対化できたから

思えば、人生の転機となった「独立」も、

自分がいる環境を絶対と思わずに、相対化できたからなんです。


繁忙期は残業が当たり前とか、

権威のある人には自分の意見を言わないとか、

その環境では当たり前だったこと、誰もが疑わなかったことを

「おかしなルール」(今考えれば)

と思えたのは、

外を見れたからです。


自由に独立して生きている人たちをネットやリアルで見て、

え、こんな素敵な生き方もあるんだーー

と世界が広がりました。

変なルールに加担するのが一番怖い

私が属している業界だけでなく、

どんな業界にも外から見ると???というヘンテコルールは存在します。

(今日の記事もとある出版業界の方から聞いた闇がきっかけです)


一番怖いのは、

「ま、ひとまず合わせておいたほうがいいだろう」

と大人(?)の対応で従うフリをしていたら、

いつの間にかそれが自分の中で当たり前になってヘンテコルールに加担していた、

という状態です。


もちろん、心のなかで「変なルールだなあ」と毒づきながら従うのも

ひとつの戦略です。というか、多くの大人はその対応だと思います。

私はなんでしょう、だめなんです…

繰り返していくと(心が)美しくなくなるようで病んでしまう。だから、挑むか逃げるしかできない。要領悪い人間です。


それはさておき、「これっておかしくない?」と外から相対化することはやはり重要です。

自分が属している環境だけで考えるから色々しんどくなるんだと思います。外とのパイプを持つととっても楽になります。

学校では全然友達がいない子が、犬や猫にはすごく好かれて公園に行くと違う世界に入れる、みたいな感じ。

外の世界とちゃんと繋がっていれば、「私間違ってない?」と批判的に自分を見ることもできると思うんですよね。

自分や周辺、属している環境がすべてじゃない!世界は広い!

これだけで世の中の見え方がすっかり変わります。

編集後記

週末は、友人が鎌倉まで遊びにきてくれたのでぽかぽか日和のなかカメラ片手に散歩。

新しいカフェにも行けたし、ゆっくり、楽しめました。

最近のあたらしいこと

麻葉屋の勝手口 縁側CAFE