終戦記念日に考える、多角的思考の大切さ。
8/152024
カテゴリー:思考すること
今日は、お盆の中日。終戦記念日です。
普段考えない戦争について、考える日でした。
戦争をきっかけに、「多角的思考」の大切さを感じたことを書きます。
※シンガポールで見た、戦争の傷跡
海外から見る、日本の姿。
なぜ戦争から多角的思考に発展したのかというと、
最近社会派ブロガーのちきりんさんのラジオを聞いたからです。
(視聴には、プレミアムリスナーの登録が必要です)
https://voicy.jp/channel/1295/188208
その内容は、「被害者じゃなく加害者です」というもの。
詳しくは説明しませんが、
日本国内にいると「日本=敗戦国=被害者である」というイメージが強いですが、世界から見たら日本は色んな国に侵略を繰り返した、「加害者」でもあるということが語られていました。
これは、思い当たるんですよね。
2022年にシンガポールに行ってきた際に国立博物館で見たものが忘れられなく。
それは、日本が侵略していたときの映像や、証拠でした。
無理やり日本語を強制させる場面が何度も出てきたり…
「あ、こんなにあからさまに外国では日本がやってきたことが公開されてるんだ」と。
正直、衝撃的でした。日本人はほぼおらず、日本人である私がぽつんと「日本人がしてきた悪いこと」を見ているのがいたたまれなく。
街のど真ん中の公園にあった、「日本占領時期死難人民記念碑」というものも見ました。
こちらは日本占領時代に犠牲になったシンガポールの全市民のための慰霊碑として建立されたようです。
お恥ずかしい話ですが、私は日本がシンガポールを占領していたことも知らず、こんなものが街のど真ん中にあることに驚きでした。ガイドブックにももちろん載ってません。
当然、ここでも日本人は私ひとり。マーライオンとか、有名観光地には日本人いっぱいいるのに。
ここでも、「過去の日本人がしてきたこと」を思いめぐらせ、なんとも言えない気持ちで佇みました。
ミクロ、マクロ同時に見ることが大事
もちろん、ミクロレベルでも情報は入ってきます。身近に辛い経験をされた日本人の話も聞いたことがあります。
私の祖母、祖父は戦争を経験しているので少しだけそういった話を聞く機会がありました。
つい数十年前にそんなことがあったなんて信じられないけど、事実は事実。
日本に原爆を落としたアメリカという国もひどい。それも事実。
ただ、その情報だけで考えるのではなく
先ほども書いたように海外から見た日本など、
マクロな面からも戦争とはなんだったのか?を考えることも大事だと思います。
そうすることで、極端な思想にならずに
「今後戦争が起こらないためには何が必要なんだろう?」
「自分ができることは?」「世の中はどう変わればいいんだろう?」
を初めて考えることができます。
あらゆることに多角的思考は必須。
戦争というセンシティブなことだけでなく、
ミクロ・マクロで多角的に思考をめぐらせることは
あらゆることに必要と考えています。
情報に対してあれこれ反応するのではなくて、
「この問題を考えるにはどういう視点を持てばいいんだろう?」
というところから始めて、
なるべく中庸な状態を保ちながら思考をすすめる。
これが、自分という人間を壊さずにレジリエンス力、思考力を
高める唯一の方法と考えています。
編集後記
属している「flier book lab」というコミュニティで、
自分の本を書く課題を進め中。
自分の棚卸しにもなって、参加してよかったなあと思いました。
最近のあたらしいこと
鎌倉県立近代美術館 ゴヤ版画 – 「気まぐれ」「戦争の惨禍」
終戦記念日なのでちなんだコレクションを。アイロニカルな絵をたくさん見て考えさせられました。