人の課題に踏み込まないためには

人の課題に踏み込まないためには
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アドラー心理学でお馴染みのとおり、自分の課題と他人の課題を分けて考えるようにしています。

境界線を超えてくる人が多い

私が好きなラジオで、「お悩み相談」コーナーがあります。

その中で、いつも不思議に思う種類の相談があります。


それは、

「自分と他人の境界線を越えている」

人たちの相談です。

例えば、家族や同僚などに、

「もっと○○すればいいのに」

「もっと○すべきだ」

と考えて、それが悩みになっている人です。他人の課題に踏み込んでいる状態です。


私は基本的に「他人は変えられない」と思っている人間なので、

こういう相談を聞いて

あ、世の中には自分と他人の境界線を軽々と越えてくる人がたくさんいるんだな

「他人を変えられるって思っている人多いんだな」

と同時に、

「だから私は怒られるんだな」

と気づきになりました。


思考や意見まで踏み込むのはNG

というのも、私は割と自分の意見をはっきり言うので

「あなたは間違っている」

と言われる機会が昔も今もまあまああるからです。


でもどうでしょう、私は「意見」を言っているのであって、

意見に間違ってるも何もないと思うんですよね。


自分と他人のどこに境界線があるのかというと、

他人に助言するところまではOKだと思います。

「私はこう思います」の表明ですね。

でも、他人の思考や意見にまで正解を出そうとするのは

明らかに境界線を超えているなあ、と思うのです。

*ブレストに正解はない

「違うの当たり前だよね、じゃあどうしようか」からスタート

先日、こちらの本を読んだのですが、

人間関係において「日本人は社交をする必要がない。みんな同じが前提だから。社交といいつつ同質性の高い人たちで集まっている」という文章を見て、あ、わかるなあと思いました。

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日本社会の「懇親会」「交流会」って名目の社交の場って、社交してないんですよね。「私たち同じだよね」ということを確認しあっている。思考や意見までも序列主義と書かれていて、やけに納得感がありました。


以前、私もそんな経験をしました。アウェイなランチ会にお呼ばれされ行ったのですが、私以外はずっと内輪の話をしていて、全然会話に入れませんでした。「あ、もう村があるんだここは」と感じました。

日本人の中に外国人が入ってきたのにずっと日本語で話し続ける人とか、居酒屋で立場が上の人が延々としゃべり続けるとか、こういう状態を私は本当に気になってしまうので(自分が輪に入れないだけじゃなくて誰かが除け者にされているのも耐えられず)懇親と名のつくものはなるべく行かないようにしています。まあ、空気読んで入っていけばいいんでしょうけど、自分が望んでいない輪であればいいかなとも思います。


話がずれましたが、「私たち同じだよね」を確認するのではなくて、「私たち違うよね」からスタートするのが本当の社交だと思っています。

その上で「じゃあ関わらないほうがいいね」もありですが、ちょっと寂しい。

それよりも「え、そう考えるんだね、面白い。じゃあどうしようか」という思考が、他人をリスペクトし、他人との境界を越えてしまうことを防ぐ唯一の方法だと思っています。


「人の課題に踏み込む」問題は、特に近い関係の人(ときにはSNS等で会ったことない人に対しても)にやってしまいがちです。私も気をつけたいです。

編集後記

Netflixで「ロイヤルファミリー」という番組を一気見しました。

税理士が主人公と聞いたのと(でもすぐに税理士はやめちゃった、、、)競馬に関してあまり知識がなかったので興味があり。以前、府中競馬場に行った時に大当たりしたことがあったんですよね。一度きりでしたが。

十勝の広大な牧場の美しさや、事業承継の難しさなどとても興味深かったです。そしてお馬さんも可愛かった〜!

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