最近、涙もろくなってきた気がします。

悲しいニュースをテレビやネットで見たときにも泣くことが多くなりました。

年齢が上がるとともに、自分の経験が増えてきて自然と自分に照らし合わせてしまっている部分もあると思います。

感情を揺るがされると、当然日常生活にも影響が出ます。

ずっとそのことを考えてしまい憂鬱っぽくなったり、集中力が続かなくなったり。

感情を揺さぶるニュースはなるべく避けたほうが無難です。

世の中は感情を揺さぶるニュースばかり

世の中は感情を揺さぶるニュースばかりです。

例えば、自然災害などで亡くなった方のニュースはその亡くなった方が生前どういう人だったか、周りの人にどう思われていたか、そんな情報が付け加えられます。

視聴率のためでしょうか、視聴者の感情を揺さぶろうとする制作者側の意図が感じられます。

そういったニュースを一度見てしまうと、しばらくの間心の中に悲しい感情が残ります。

確かに亡くなった方がいるという事実は知っておくべきことかもしれませんが、だからといってそれを知ったことにより自分が何かできる訳ではありません。

心の中にしこりのようなものが残るだけです。

ネガティブな情報にも触れない

ネガティブな情報にも目を向けないようにしています。

たまに昼間にテレビをつけるとネガティブな情報にあふれています。

政治家に対する不満、家族に対する不満、近所に対する不満、会社に対する不満・・など。

解決策を示さない、建設的な意見交換もない情報はただ洗脳されるだけで良い事は何もありません。

感情をあらわにするのは人間らしい?

感情をあらわにするのは

「人間らしい」

とときには誉め言葉にも使われます。

日本のメディアはお涙頂戴的なものが多く、涙を流したり感情をあらわにする人は国民の支持を得る傾向があります。

これには少し違和感があります。

社会生活を営み、他人と生きていくのに感情をあらわにすることは人間らしいとは私は思えません。

会社などの社会生活を営む場で感情をあらわにしている人を冷めた目で見てきました。

逆に感情を抑えられる人の方が人間らしいと私は思います。

動物の中で人間だけが豊かな感情を持っていますが、それを抑制できるのも人間の特性です。

昔、ある人のお葬式のときに私だけ泣いていなかったのを後から人に言われたことがありました。

泣いていない=悲しんでいない、冷たい人間

と思われたのでしょう。

本当に悲しいから泣いているのかは、その人の心の中を見れない限り分かりません。

泣きたいけど泣けない、泣きたいけど我慢する、それができるのも人間です。

感情が全くないロボットのような生き方もしたくないけれど、感情の赴くままに生きるのにも抵抗があります。

まとめ

人間だけが持つ豊かな感情表現は魅力もありますが、ときには生きる上で負担になったり、周りに迷惑をかけたりします。

上手く自分に入って来るネガティブな情報をコントロールして、

感情を揺るがされないようにしましょう。

編集後記

ちなみに、「自分から泣きに行く」のはありだと思います。

泣ける映画やDVDを見たり。

昨日は久しぶりにお気に入りの女優・木村多江さんが出ている邦画を。

大いに泣きました(^^;。

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