震災から12年

いまこのブログを書いているのが2023年3月。

12年前の3月11日、東日本大震災が起きました。

 

震源地・東北から離れた横浜に暮らす自分にとっても、

大きな大きな出来事でしたが

「あの事故はなんだったか」

を整理しないまま、12年が経ってしまいました。

 

そこで、きちんと自分の目で

確認してこようと

福島・宮城へ行ってみることにしました。

今日はそのレポートと、

考えたことを書きます。

※11年半、帰還困難区域だった双葉町

 

被災者が働いている震災伝承館

訪れたのは、福島第一原発がある福島県・双葉町です。

去年の8月にようやく一部の地域が解除されましたが、

11年半ほどほぼ全域が帰還困難区域だった街です。

 

メインの目的地は、「原子力震災伝承館」です。

2020年9月に開館したばかりの施設で、

震災時のパネル展示・当時の動画を見ることができます。

非常に立派な施設でした。

 

語り部の方による話も聞けます。

 

ひとりの男性が、

すごく丁寧に、感情込めてお話されていたのですが

震災者のひとり、ということを聞いて納得しました。

地元で教師をされていた方のようで、

震災後、地元に戻って体験を語り継ぐお仕事をされているようです。

 

やはり、当事者ともなると

その話し方も真剣でこちらにも伝わるものがありました。

実際、ニュースでは知ることができなかった

当時の言葉では表せないほどの大変さが伝わってきました。

 

 

除染は、いまだに続いているようです。

地道な作業によって、

震災前の線量に戻りつつあるのだとか。これも全然知らないことでした。

 

震災伝承館の目の前にある双葉町産業交流センターの2階では

地元の人たちが働いていて地元でとれた野菜・魚料理を

提供してくれました。

地元の人が、力を合わせて

復興に向けて動き出している。

そんなエネルギーを感じました。

 

ほぼ無人と化した街

とはいえ、11年半もの間入ってはいけないと

されていた地域なので

本当に街はひっそりと静まり返っていました。

 

家は点在しているし、家具や家電など生活していた様子

がそのまま残っているのに、誰もいない。

ガラスが割れ、屋根が崩れ、建物が傾いている。そんな廃墟のような状態でした。

 

当然と言えば当然ですよね、

震災後すぐに「逃げろ!」と言われそのまま10年以上も戻れないなんて、

誰も想像してなかったのでしょう。

復興は本当にまだ始まってもいないということを思い知らされました。

 

明るい兆しも

街は車(トラック)ばかりで人はほぼいなかったのですが、

明るい兆しもありました。

 

敢えてシャトルバスを使わずに

駅から震災伝承館までの道のりを歩いてみたのですが、

ところどころに会社ができていたからです。

ただ、ほとんどが建設関係の会社だったので、

まずはインフラ関連の会社の誘致が始まっているのかなと。

 

ただ、震災伝承館の周りの敷地に

ドローンを配置する場所を作るお話も聞きましたし、

駅前にはUR(都市再生機構)が復興用の公営住宅

の工事を急ピッチで進めていました。(しかも、とてもオシャレ!)

 

何もなくなってしまった街

というとネガティブな印象ではありますが、

逆に言えばなんのしがらみのない、0からスタートできる

強みがあると感じました。

 

2階まで浸水したけど、犠牲者がでなかった荒浜小学校

もうひとつ訪れたのが仙台市・荒浜地区にある「震災遺構仙台市立荒浜小学校」です。

震災時、大きな津波被害があったのですが、児童と周辺住民320人が屋上に逃げて無事だったという場所です。

2016年に閉校が決まりましたが、

当時の状況を一部残し震災遺構として一般に公開されています。

 

まず驚いたのは、その場所です。

仙台駅から地下鉄で20分ほどの荒浜駅という駅からバスでさらに20分ほど。

本当に海が近いんですよね。

ただ、津波の前を知らないのでそう思っただけかもしれませんが。

 

2階まで浸水したということで、

当時の教室が一部そのまま残されていました。

天井が剥がれ、ベランダの塀が倒され、

津波の恐ろしさを目の当たりにしました。

 

320人ほどの人が集まった屋上にも。

当時、雪も降っていたようで

避難がくるまでの間、暖房もなにもない4階で

カーテンなどにくるまって暖をとっていたと聞きました。

 

元々、近くの体育館に避難する話もあったようですが

校長の判断で屋上になったとか。

もし体育館に避難していたら・・津波に巻き込まれていたことは

間違いありません。校長の判断一つで結果がすごく違っていたと

思うと、恐ろしい気持ちになりました。

 

福島・宮城を訪れてみて考えたこと

まず、ニュースで見たり聞いたりするのと、

実際に自分の目で見るのとでは、

全然違うことにあらためて気づきました。

 

震災から12年も経ってしまったけど、

本当に来てよかったなと思いました。

 

被災された人の気持ちがわかるなんて到底言えないけど、

少なくとも現地の空気を知ることで

原発や自然災害についての考えを深めることができました。

 

東日本を壊滅させる可能性が十分あった原発事故。

あらためて、原発は開けてはいけないパンドラの箱だったんだと

思い知らされるとともに、

現地の状況を見て

すぐに停止して自然エネルギーに切り替えれば良いという

シンプルな問題でもないと知りました。

安定的に、安心して、エネルギーが供給され、かつ人間が自然と共生するために

できること、個人レベルでもいいから考えていきます。

 

まとめ

今日は、震災から12年、福島・宮城へ行って考えたこと

をまとめてみました。

40代になって、自分が楽しむだけの旅行じゃなくて

自分の血肉になる勉強のための旅行もしたいと

思うようになりました。

またこういう勉強旅、してレポートします。

 

編集後記

昨日は、双葉町へ。

1日に2回しか走らない特急ひたちに乗って。

帰りは鈍行で帰ろうとしたのですが時間にしくじり、

駅構内で2時間くらい待つことになってしまいました^^;

駅周りを歩き、

無人のおうちの周りに綺麗な桜が生えていたので

写真を。

 

最近のあたらしいこと

特急ひたち

双葉町

原子力震災伝承館

震災遺構仙台市立荒浜小学校フ

ラットホワイト コーヒー ファクトリー 荒井店

牛たん炭焼 利久 仙台駅店

元祖仙台ひとくち餃子あずま

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