極端な意見のほうが支持される世の中で

「白か黒」のように、極端な意見が人気を集める傾向は現代にあります。

陰謀論なんかは典型的で、

極端な意見は、信じている人にとってはとても心地よいのだなと思います。

 

もちろん周りに振り回されて自分を見失うことを避けるためにも、

自分の意見を持つこと自体は大切です。

ただ、その意見が「白か、黒か」といった極端に偏るのではなく

白でも黒でもない「中道」が良いと考えています。

※どっちつかずの「中道」が最強

 

「中道」は仏教の基本の教え

中道は、仏教の基本的な教えのひとつで、

簡単に言うと

「白黒どちらかに過度に偏るのではなく、その中間に位置する道を選ぶ」

という考え方です。

 

はっきりした意見を持っている方や、ストイックな方からしたら

「で、どっちの味方(立場)なのよ!?」

「そんな曖昧な考え方では甘い!」

と怒られそうですが、

どういうスタンスを取らないのが中道です。

事実を踏まえ、「こうだし、ああだし」

と冷静に分析して落とし所を見つけて調和をさせる。

 

こういった中道の精神は残念ながら全然面白くないので、

支持されず評価も上がらないのが特徴です。

でも私はこういった精神がとっても大事だし、

仕事含めた人生全般に必要なことと考えています。

 

なんでも極端は弊害がある

その理由は、なんでも極端には弊害があるからですね。

 

例えば、「タバコの煙が大嫌い!」な人は多いと思います。

(私も苦手です)

ただ、私はタバコの煙は嫌いですけど、

タバコを吸う人は嫌いじゃありません。

 

何を当たり前な?と思われるかもしれませんが

意外と「タバコが大嫌い→タバコを吸う人は周りを考えていない、ダメな人だ。だから嫌い」

と極端に嫌いだからこそ結びつけてしまっている人も多いんじゃないかと思うんですね。

実際は、すべての喫煙者の方が周りの人を気にしていないわけではないので、

タバコを吸う人自体を悪く言う理由はありません。

 

同じように、「○○人はこうだから」という極端な考えも危険で、中道から外れた考えだなと思います。

当たり前のことですが、皆が皆、一様であるわけがない。

 

次の例としては、「自分軸」「他人軸」、「勝ち組」「負け組」

といった極端に白黒つける言葉ですね。

こういった言葉を使うとその周りを取り巻くさまざまなグラデーションの広がり

を忘れてしまいます。

 

例えば、「自分軸」という言葉があります。

私もたまに「自分軸」という言葉を使いますが、、、

これもバランスで、なんでもかんでも「自分の意思」を通せば

いいわけじゃないと考えています。

そもそも人は他人の目を完全に無視して行動しているわけじゃないので、

「自分軸」という言葉自体が作られた言葉なんだろうなーと。

 

ビジネスも。夜まで働く極端な働き方や、自分を犠牲にした働き方は

一時的にはうまくいっても長続きしません。

 

このように、極端な意見・行動は短期的には自分にとって心地よい環境を作り出せても、

常に見えない敵にイライラし、心の平穏がとれないという

大きな弊害があります。

 

これを避けるためには、

やっぱりどっちつかずの中道が必要だと思うんですよね。何事も、ほどほどに。

白黒の意見を求められても答えない。ときにはそんな勇気も必要です。

 

自分と、他人と、妥協し、妥協され、迷惑かけ、迷惑かけられ、

ちょうど良い塩梅を探っていくこと。

こういった地味で地道な努力が

持続可能で穏やかな毎日を過ごすために必要と

思っています。

 

まとめ

今日は、最近のマイワードである「中道」について

思うところを書いてみました。

極端な意見・行動に偏ってないか、たまに振り返ることも大事ですね。

(まあ、仕事のやり方は私はかなり偏っておりますが、、、)

 

編集後記

昨日は、10数年ぶりくらいに鎌倉の銭洗弁天へ。

うっすらお金の洗い方を思い出しました笑。

 

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