為末大さんの『熟達論』という本が

とても刺激になりました。

 

中でも、

「経験はときに可能性をつぶす」

が心に響きました。

 

※厳しい世界で成果を出し続けているプロだからこそ、重い

 

過去の成功体験の害

この本は熟達の順序として、

「遊ぶ」→「型(無意識にできる)」

と書かれていました。

 

最初に「型」から入ってしまうと、

自分に制限をつけてしまう(「賢くなる」と表現されています)

ので、

まずは思い切り動く「遊び」が必要なのだと。

量も最初の段階が一番必要なので、

合ってるかわからないけど

とにかく数をこなす時期というのは必要ということなんですね。

これには納得です。

 

このお話を聞いて、親と子供のいざこざの理由がわかった気がします。

「型」を持つ親が自分の成功体験をいつまでもひきづっていて、

それを子供にもやらせようとするという。

 

そうではなくて、まずは

失敗しても見当違いでも

なんでもいいからいっぱい動くことが

大事なんですよね。

 

遊→型の順番

思い切り動いてみて、

その次につくるのが

「無意識でできること」、つまりある程度の「型」をマスターする

ということでした。

 

仕事にもこれは言えます。

初めての仕事は

とにかく量をこなさないと

どうやっても無意識レベルには持ってこれないですよね。

 

私の場合、独立してから初めてやった

仕事はたくさんあります。

 

例えば、人前で話す仕事です。

今でこそ月に何回も人前で、オンラインで、

話していますが

1度も経験したことがないときは

そのイメージすらできませんでした。

 

それでも何度も何度も経験して、失敗して、恥ずかしい思いして、

ようやく「体で覚えた」気がします。

 

人に「自分ができている型」を説明するのが

難しいのは、それが無意識レベルだからです。

ですので、全くの初心者の方にアドバイスをするならば

やはり「とにかくいっぱいやってみよう」

としか言えないのでは、と考えています。

 

いつかは「空」の境地にいきたい

この本の熟達の最終的な境地として「空」と為末さんは表現されています。

この域に達すると、

「自我をなくす」

「時間感覚が変わる」

「記憶が曖昧」

になるのだとか。

気がついた時はレースにゴールしていた、

という記述があって寒気がしました。

本当に極めた人はここまでいってしまうんだな、と。

 

私がこの境地に辿り着けるのかはわかりませんが、

憧れはあります。

この境地までいったら、

なんだか人生終わってもいい気がします。

 

まとめ

為末大さんの「熟達論」が身に沁みたので、

書いてみました。

スポーツメインのお話ですが、

いろんなところに応用できると思います。

 

編集後記

昨日は、freee導入コンサルティングをみっちりと。

彫刻家の方でした。

うまくできそう、とイメージしてもらえたみたいで

よかったです。

 

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