「自由に生きたい」

「自由って素晴らしい」

と思っている人は多いと思います。

ただ恐らく、人によって「自由」の定義は異なるはずです。

 

私にとって自由とは、

誰からの支配も受けず、

自分の信念に従って生きていくことです。

どれだけ自分の信念を貫きとおせたかで

良い人生を送れたかが決まると思っています。

ただ、これは思ったよりも楽ではありませんし、不自然なことだし、辛いことでもあります。

※人と違う行動をとることは、痛みが伴う※

自由=楽ではない

人によっては自由は「楽すること」と思っておられる方もいるかもしれません。

私の場合は自由を得ることは楽することでは決してありません。

人から指示されたこと、

世間の一般常識と言われていること

に従って生きていったほうがずっと楽だと思っています。

もちろんそこには不満や愚痴などが伴いますが、

行動を変えるよりは変えないほうが負担は少ないはずです。

自由は人工的

以前森博嗣さんのエッセイを読んだときに、

「不自由は自然なこと、自由は人工的なこと」といったことが書かれていました。

[お勧め本]自由をつくる自在に生きる 森博嗣

森博嗣さんは研究者としての経歴が長いですが、

「明日から何研究しても良いよ」

と言われることがどれだけ辛かったかを語っています。

学校教育、会社教育など世の中の大半の人が過ごす場所

というのは「やること」が決まっています。

それぞれ不満を言いながらもこなしていきます。

それに慣れていると、

いざ「明日から好きなことしていいよ」「自分の信念に従って生きなさい」

と外にほっぽられたときに途方にくれてしまいます。

人は誰かからの支配を受けることのほうが自然であって、

自由というのは人工的なのだから慣れ(脳のチューニング)が必要ということですね。

 

自由の辛さ

独立後、

顧客ゼロ、営業もしたことない自分が

一から自分の毎日の行動を作っていくことは非常にしんどいものでした。

今でも、意図的に「ルーチン」(毎日同じことの繰り返し)

を自分で作っています。

仕事以外でも、

重大な判断をしなければならないときに

勇気を持って世間とは違った行動をとったこともあります。

 

誰かからの支配を受けないのであれば、

自分の判断の責任、痛みを引き受けなければなりません。

 

仕事に限って言えば、

私の場合のように、「士業」というあらかじめやることがほぼ定型化されている仕事なら

まだ良い方で、

一から何かを作っていく起業家の方の苦労は計り知りません。

今活躍されて誰からも羨ましがられている経営者の方は、

自由の辛さ、大変さを本当に理解していると思います。

 

「自由に好きなことをしてしく」「自由を得て楽に生きていく」

といったキラキラした言葉を見かけますが、

自由には相当の痛みを伴うということを

この数年間で知りました。

それでも痛みを伴う生き方でしか

充実した人生は送れないと思っているので今後も自由な生き方を

追い求めていきます。

 

編集後記

昨日は東南アジアに住む非居住者の方に対して税金に関する相談を対応しました。

年末に向けて、海外にいる方からの相談が増えてきました。

 

最近のあたらしいこと

ふるさと納税でいただいたいくらを食べる

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