森博嗣さんといえば、元々研究職で、その後小説家としてデビューされ、理系ミステリというジャンルで有名な方です。
「すべてがFになる」が著作としては有名ですよね。
私は、実は森博嗣さんの小説は一度も読んでいないのですが、エッセイはよく読んでいます。
その中でも、おすすめなのが「自由をつくる自在に生きる」という本です。

自由とは何か?

昔と比べれば、物質的にも精神的にも人は幸せになってるはず。
でも、何故か生きづらい。それを裏付けるかのようにうつ病などの心の病気が増えています。
何か、見えない生きづらさが現代には存在しているのではないか?
そんなもやもやとした疑問を持っていたところ、この本に出会いました。
かなり、すっとしました。自分の心のモヤモヤをすべて表現してくれている本です。

そもそも「自由」とはなんなのか?
著者は最初に読者に問いかけます。
例えば、

仕事で朝起きるのが辛いときに寝ていられるのが幸せなのか。

お腹がすいたときに好きなものを好きなだけ食べられるのが幸せなのか。

上記はただの「支配からの解放(前者は社会責任からの解放、後者は身体的欲求からの解放)」であり、本当の自由とはいえない、と著者はいいます。

自由=自分の思い通どおりになること

著者のいう自由は、「自分の思いどおりになること」です。
当たり前に聞こえるかもしれませんが、よくよく考えてみると深い言葉です。
「自分の思いどおりに」という場合には、「自分が何を本当に望んでいるのか」を知らなくてはなりません。

一番厄介なのが「自分の内側からの支配」

しかし、厄介なことに支配は外部からはもちろん、「自分の内側からの支配」が強い力を持っていると著者は言います。
「こうしなければならない」という強迫概念や思い込みは、人を束縛し、身動きできないようにします。

「自分の内側からの支配」は、あらゆる場面で登場します。

「子供のために、尊敬される親にならなければならない」
「親孝行しなければならない」
「結婚したから妻、子を養わなければならない」
「女だから家事ができなければならない」
「もうこれ以上稼ぐことはできない」
「大人なんだから勝手なことをもう言ってはいけない」・・・など。

こういった考えははほとんどが思い込みによるものだと思います。

自由に生きることは自然ではなく人工的

「自由に生きること」は本来の人間として自然なことではなく、人工的なことなので努力が必要、と著者は言います。なぜなら、人間は「支配」を受け入れる本能があるからだといいます。

確かに、常識に従って他の人間と同じようにふるまうことはとても楽です。
他の大勢と同じく通勤電車に乗って通勤し、昼休みはレストランの行列に並び、上司と残業し、夜はお酒を同僚と飲んでまた混んだ電車に乗って帰って子供の顔を見ずに眠る・・普段生きていて「自由」の意味も考えたことがない人にとっては当たり前の日常かもしれません。
でも、やはり私はそのような生活を「望んで」している人はいないと思います。
やはり、支配が進んでいるのです。

「生きづらい」と思っていたときに光をくれた本

特に気に入ったフレーズを引用します。

自由は、思っている程楽なものではない。自分で考え、自分の力で進まなければならない。その覚悟というか、決意が必要だ。
しかし、自由になろうと思うだけで今よりはもっと自由に近づけるだろう。
大切なことはまず気づくこと。支配されていることを自覚すること。そこから自由な発想が生まれる。

私はまだまだ「自分が何を本当に望んでいるのか」を模索中です。
そして、自分を支配しているものは何か、そして少しでも自由になろうと毎日思い続けるようにしています。

なんだかよく分からないけど生きづらいな、と思っていた時にぱっと光をくれた本です。

編集後記

週末は息子の英検5級受験に付き合ってきました。

私自身は英検は受けたことがないのですが、学生だけでなく様々な方が受ける試験なんですね。

受かって少しでも自信つけてくれたらと思っています。

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