「こだわり」(拘り)は、

昔はあまり良い言葉ではなかったようですが、

現在では「こだわりの一品」のように良い意味で使われることが多いです。

こだわりがある人ほど、芯のある人だとか、ぶれない人だとかで

褒め称えられるような風潮があります。

一方、何事も拘りすぎると視野が狭くなるし、

自分で自分を制限させてしまうとも思っています。

私はどちらかというと何事にもなるべくこだわらずに、自由自在に

生きたいと思っています。

私がこだわっていないものを書いてみます。

※なにものにもこだわらない生き方を目指したい※

お金にこだわらない

お金をひたすら貯めることにこだわっていません。

お金はあくまでやりたいことをやるためのツールですので、

お金そのものを集めるのは

まがいものを集めて拝んでいるような

空虚さがあるので、お金自体にはこだわりません。

仕事にこだわらない

税理士という仕事にこだわっていません。

仕事に誇りをもつ、という人も中にはいるかといますが、

基本的に仕事は必要だから存在するものと認識しているので、

私が提供できるものとお客様のニーズが合致したところに存在すると考えています。

従ってこの仕事は誇りがある仕事で、この仕事は誇りのない仕事

といった区別はしていません。

(中には必要ない仕事もあると思いますが)

逆に、仕事に誇りを持ちすぎることのほうが

視野を狭くする可能性があると思っています。

また、報酬の高い・低いも

その人の能力はもちろん世の中に与える価値と何ら関係ないものだと思っています。

人目にこだわらない

人からどう見られるか、ということにこだわっていません。

人は人、自分は自分、と認識しています。

ですので自分と価値観の違う人が現れても

「違うのだな」

と思うだけでその人を非難することはありません。

逆に自分のすることに対して他人から非難されても

あまり気にしないようにしています(迷惑がかかること以外は)。

人は社会的な生き物なので人の中ででしか生きていけないのは

わかりますが、人目に拘りすぎてがんじがらめになってしまうのは良くないと思っています。

「私は私」「あなたはあなた」という距離感がちょうどよいです。

常識にこだわらない

昔から決まっている、理屈がわからない常識にはこだわっていません。

例えば、結婚式とか。

親族や、本当に仲の良い友だちだったらわからなくもないですが、

ちょっと仕事で関わったことがある、程度の人に誘われて

正直行きたい、と思う人は少ないでしょう。

祝福したくないなら行かないほうが良いですし、

そもそも結婚って周りに祝ってもらわなければいけないものなのでしょうか。

コロナがきっかけで

「なんだかよくわからないけど人が集まる行事」

といったものは減っていくものと考えられます。

こういった些細な「常識」にこだわらないと、

より本質を探ってみることができます。

 

まとめ

何事も拘りすぎると視野が狭くなるし、

自分で自分を制限させてしまいます。

何事も拘りすぎないほうが

自由自在に、楽しく生きることができます。

 

編集後記

昨日は、午前中仕事をした後午後は疲れをとるため休息。

 

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パルシステムのめかじき

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