最近、義父が体調不良で入院をしているため、病院に行く機会が増えました。

1度も入院をしたことがなく、健康体の自分にとっては病院は普段遠い存在です。

正直あまり行きたいと思う場所ではありません。

しかし、何度か行っていると不思議と心が落ち着くことに気づきました。

価値観が変わった気がします。

夜中でも嫌な顔一つせず働き続ける医療に携わる人たち

義父が入院したと聞いて初めて病院に行った日は到着したのが夜の22時くらいでした。

そんな夜にもかかわらず医師や看護師さんの対応はきめ細やかでした。

「そんなの病院で働いているんだから当たり前だよ」

と言われるかもしれませんが、朝起きて、夜寝るという普通の生活をしている自分にとっては衝撃的でした。

自分の知らないところでこんな夜まで働いている人たちがいる。

そして毎日のように生死の境目に遭遇している。

私は自分の半径〇メートルで起きていることにしか目がいっていなかったのだなあと知りました。

義父を見舞っているときも何度も救急車が到着していました。

病院内で感じた「なるようにしかならない」

病院では、患者さんの目的は一つだけ。良くなることです。

医師の指示に従って薬を飲み、リハビリに励みます。

良くなるために焦ったり、不安になったり、イライラしていても何も変わりません。

ひたむきに治そうとしている患者さんを見ていると、

毎日自分が病院の外で感じている得体のしれない不安など、どうでもいいことのように思えてきます。

焦ったって、なるようにしかならない。生きるか死ぬかに比べたらすべて小さいこと。

というのを思い知らされます。

健康体の自分は真剣に生きているか

義父は筋肉が弱まっているため、食べ物を飲みこむのも最近やっとです。

とてもエネルギッシュな人だったのでそれを見ていると少し悲しくなりもしますが、

ひたむきな姿を見ていると

「身体が弱っている義父が生きようと頑張っている。健康体の私は真剣に毎日生きているのだろうか?

と考えるようになりました。

何不自由なくしゃべれて、動けて、考えて、食事できる自分。

何かをできない理由なんて何もないはずなのに、自分で不安を作り出して逃げる人生を送ってはいけないなと思いました。

まとめ

病院に通うようになって心境に変化ができ、価値観が変わりました。

少し変な話ですが、病院に行くと心が落ち着くように。

余計な雑念が浮かばない病院は、自分の心と向き合う良い場所だったのかもしれません。

編集後記

今日は午前中打ち合わせ、午後は夫と共に私の母のお墓参りへ。

シーズンオフだからか空いていて、思う存分母と向き合うことができました。

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