お母さん、お父さん、離れてくれてありがとう

お母さん、お父さん、離れてくれてありがとう
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子どもをありのまま愛し、育てることは人間としての器を試されることだと思っています。

でも、その先に「子どもから離れる」というもっと難しい試練が待っていることに気づきました。

*亡くなった母親が私のために記録した日記(左)と私が息子のために記録した日記(右)

可愛がるよりも離れることのほうが難しい

約1年前に、息子が家を出て一人暮らしを始めました。

そのことをとある人に話していたら、以下の記事を紹介してくれました。

親が子どもを無条件に愛することは、子どもが自己肯定感を育むためにとても大事。これはとっても共感です。

ただ、私がもっと腹落ちしたのは、

守ることより、離れることのほうが難しい

という部分です。


この記事にも書かれてるとおり、子どもが自分の元を離れているということは、特に母親にとっては

お腹の中にいて二人で一つだった存在が、勝手に一人の人間として、自分と関係なしに生きていくのだから、それは絶望と言ってもいいくらいの出来事だと思います。

くらいなんですよね。

1年前に、私もそれを経験しました。

生まれてからよちよち歩きを始めて、

自分で学校へ行って自分で習い事行って…

と小さい頃からの成長が走馬灯のように頭を過ぎていって。

特に幼少期は、「自分が守らないと死んでしまう」という気持ちが強く、毎日必死でした。そんな子どもが、今や自分の元を離れて自活できてしまうなんて。

息子の引っ越しを手伝ってひとりで帰る電車の中で、今までにない空洞を自分の中に感じました。「私の存在、いる?」くらい。

嬉しいはずなのになんだかやりきれない寂しさがあったんですよね。

エーリッヒ・フロムの言葉

「愛するということ」という本で有名なドイツの研究者であるエーリッヒ・フロムは、

著書の中で

Whether one becomes a loving mother depends on whether she is ready to withstand separation, and whether she can continue to love just as much after separation.(「愛情深い母親になれるかどうかは、すすんで別離に耐える覚悟があるかどうか、そして別離の後も変わらず深く愛し続けられるかどうかにかかっている。」)

エーリッヒ・フロム「愛するということ」p84

と書かれています。


「すすんで別離に耐える覚悟あるかどうか」

は本当にそうだなーと。


1年前、さみしい気持ちはあるけど

今ここで押し出さないとこの子のためにならない。

そんな心境でえいやっと追い出したのを思い出します。




結果、本当によかったと思っています。

この1年で子どもはとてもたくましくなりました。

遠くから見守り、「いつでも帰っておいで」と

今後親としてできるのは、

遠くから見守って、「安全な場所」としていつでも帰ってきて、

と言える存在でいることだと思っています。


せっかく離れたのにあれこれ口出ししてたら

それこそ子離れできないですしね。

*夕飯を作ってくれている様子


そういえば、自分の父親も

私が24のときに結婚して子どもを育てると話したときは

色々言ってきたけど、最後は信じて送りだしてくれました。


後から兄弟に聞いたら、父親はうっすら泣いてたみたいです…

これから苦労するであろう私を心配して、でも信じようと決めて涙腺がゆるんじゃったのかなと(というか、私は父親が泣いてるの見たことなかった)。

こんな感じで子どもにとっても「親が信じて送り出してくれた」という安心感が、

その後の肯定感や自立心を養ってくれるのかなと思ってます。


信じて見守る。これが親の最終使命だとあらためて認識しました。

人生、修行ですね。

編集後記

家でゆっくり音楽を聞きたくて、レコードプレーヤーを買いました。

届くまで時間が少しあるので、レコード探しに。

東京のほうに行かないとないかな〜とChatGPTに聞いたら、私の大好きなBOOKOFFに売ってると!

早速行ってみると本当に売っていました。

好きな作曲家・ブラームスのクラシックのレコードを2枚買って満足。あとはプレイヤーを待つのみです^^

最近のあたらしいこと

うつわと灯り threetone

鎌倉での花火が中止になった日、気になっていた新しくできた近所の食器屋さんへ。

気に入った陶芸家さんの作品だけを並べているこだわりのお店で素敵でした。

メイン皿と、サブのお皿を購入。なんだか食卓が明るくなりました。