親に一番感謝することは、「邪魔しなかったこと」
- 2025.02.27
- ソロの生き方

私は今40代ですが、親は70代です。
今になって、「これは親に感謝したいな」と思うことがでてきました。
それは、「小さいときに、自分のしていることに対して一切邪魔してこなかった」
ということです。

※バッグを制作中
「勉強しろ」とは一度も言われなかった
元々学校の勉強がそこまで得意ではありませんでした。
退屈な授業もたくさんありましたし…
小学生のとき一番何をしてたかなーと思い出してみたところ、
それは「制作」なんですよね。いつも何かを作っていた。
といっても天才少女・少年みたいなすごいものではなくて
他愛もない絵や漫画を見様見真似で描いたり、
ビーズや刺繍で何やらわけわからないものを作ったり、
キーボードでめちゃくちゃな音楽作ってそれをパソコンに打ち込んだり。
そんなとき、父親は一度も
「そんなくだらないことやってないで勉強しろ」とは言わなかったんですよね。
「邪魔されなかった」はいま資産になっている
そうやって「邪魔しないでいてくれた」ことは、
今とても資産になっています。
とにかく、ひとりでいくらでも遊んでいられるし、楽しさを見つけるのが得意です。
庭で野菜育てる、ハンドメイドする、新しい料理する、物書きする、絵を描く、など家遊びも好きですし、

色んなところへ旅に行って写真を撮る外遊びも大好きです。

そういう時間がなかったら私は生きていけません。
これがもし「ああしろ、こうしろ」と小さい頃に邪魔されていたら
自分の楽しみを見つける力が弱まっていたかもしれません。
そして、家族、会社、SNS、コミュニティ等の共同体からの「承認」に依存していたかもしれません。
共同体を通じずに、「個人」として世界につながる
なんで今日こういうことを書こうと思ったのかというと、
最近読んだ宇野常寛さんの「庭の話」という本に刺激を受けたからです。

この本では、共同体でもグローバルエリートでもなく、
「個」として世界につながる手段として、「人間以外の事物との対話」をおすすめしていたんですね。
よく、「SNSは人をつなげるどころか人を分断させる」といったことが言われますが、
逆だと書かれていました。むしろ、SNSこそ「共同体」の塊なんだと。
ログインした途端に、「何を投稿したらあの人から「いいね」がもらえるか」を考えるという。
これ、本当によく分かるんです…私がなぜSNSから少し距離を取っているのかというと、
「◯◯カイワイ」「◯◯クラスタ」「◯◯勢」
と語られることが多いからなんです。すごく苦手です、この言葉。
せっかく独立して会社という大きな共同体から離れられたのに、また共同体かよ、みたいな。
私は自らコミュニティを運営していますが、
変な「カイワイ」「仲間意識」っぽさは出さないようにしています。
「ああ、こんなとこに場所があったのね」「まあここでちょっくら遊ぶか」くらいに思ってもらえばそれでよくて。ひとつにならなくていい、バラバラのままでいいんです。
著者の宇野さんは、好きな事物を制作する時間こそが、
共同体からの承認合戦から逃れられる時間とおっしゃっています。
そして、今回一番書きたかったのは、
「好きな事物を制作する」ことができる人って、
小さい頃に身近な人に好きなことを邪魔されなかった人
だと思うんです。こういう人は、自由に自分と世界を繋げられる気がします。
思えば、初期のインターネットはそういう世界でした。
一生懸命自分でISDN設定してスプリッタでつなげてとかやってる時間そのものが楽しかった。そして、発信している人も本当に好きなことを発信していました。人からの承認なんて何もいらなかったんですよね。
話があちこちいきましたが、
いま、幼い子どもたちを育てている親がいたら、
是非子どものしていることを邪魔しないでほしいです。
「ひとりで没入できた」経験こそが、
おとなになってからの「個人として世界と対峙する」強さ
の糧になると考えています。
(自分の息子に対しては、邪魔してこなかった…はず汗)
編集後記
昨日は、あらたな門出(ニューヨークの企業へ転職)をされる顔なじみのお客様の個別相談。
ニューヨークの物価を教えてもらって、目玉飛び出そうになりました…(家賃が一桁違う)
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