価値は回っていく。お金を介在しない「価値の交換」について考える
3/282019
カテゴリー:お金の考え方
先日読んだ山口揚平さん著の『1日3時間だけ働いておだやかに暮らす』
という本に、
「今後お金は徐々に経済活動のツールとして使われくなっていく」
という記述を見て、妙に納得感がありました。
お金の本質は価値の交換のための手段です。
あくまで手段なので、他に価値を交換するためのツール(代表的なものでいえば信用)があれば、
お金は必ずしも必要でないことがわかります。
(昨今「信用」を見える化するための仕組み(分散型台帳技術を有するブロックチェーン、AIスコア等)も進んできていますね)
しかし、いま手段であるお金が「目的」と化してしまっているという矛盾が起きています。
社会の様々な問題は、お金が目的化していることにあると思います。
お金の本来の目的である「価値の交換」を意識することについて書いてみました。
※ベルギーにて※
子供にお金を払わせなかった近所のお医者さん
今はあまりないと思いますが、
私が子供の頃近所にあった医院は、子供だけで行くとお金を払わせない人でした。
母親を早くに亡くしているせいか小さい頃からひとりで病院に行くことは
我が家では普通だったのですが(^_^;)、(祖父母も色々忙しく・・)
近所の医院の先生は
「いいよいいよ〜お金はいつかね」
というカタチで保険証すら忘れたときも診療し、薬を出してくれました。
もちろん、後から親が支払っていたはずですが
今だったらあまりないことなのかな、と思います。
(「保険証忘れた、あとで払う」も今通用しないですよね)
良く言えば「おおらか」、悪く言えば「ルーズ」、そんな「信用」で
一昔前は回っていました。
もちろん医院が「うちはお金払わなきゃ診ない」という態度を取ることも可能ですが、
その後も行き続け、近所にも「あそこの医院さんは良い」と口コミしたのは
そういった院長先生のおおらかさ、優しさ、人柄があったからです。
このような「信用」「ツケ」が一切通用しない、手段の「お金」だけで周る世界は
どことなくギスギスしています。
そんなギスギスが行き過ぎた結果が昨今だと思っています。
(まあ、今でも院長先生には迷惑だったろうなあと思いますが・・)
「お金要らないです」と言われたときのこと
独立してから、仕事で困ったときにとある方に相談し、お金を払おうとしたときに
「いえいえ、いつもお世話になっているからお金要らないです」
「お金なんて、何言ってるんですか」
と言われたことが何度かありました。
以前から情報交換をしてきた人たちです。
このときにも「価値の交換」を感じました。
お金は便利で分かりやすいですが、それを介することによって
「価値」が見えづらくなる
といったことは確かにあると感じます。
私も、信頼している人に対して役に立ちたいと思うし、
そこにお金を介する必要はないという考えがあります。
情報も、惜しみなく出したいと思います。
現実的には、全くお金を介さないと現状
生活するための必要最低限のモノが得られないので限度はありますが(^_^;)(自給自足をしない限り・・)
行き過ぎたお金至上主義を見直すためにも、
本来の目的である「価値の交換」を普段から意識することは大事だと考えています。
まとめ
先日とある取材を受けたときに、
「周りに面白い同業者の方いませんか」
と言われたときに何人か思い浮かべ、伝えたのですが
これも仕事を融通し合う、一種の価値交換なのかなと思いました。
信用と人との関係が重要になる社会に、必須なのは時間と思考、行動だと考えます。
編集後記
昨日は、非居住者に対する源泉所得税の調べ物など。
他の法律も絡み、難しい・・。
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