最近「いかに心穏やかに暮らすか」ということに興味があり、

そのヒントは仏教にあるのではないかと仏教の本をよく読んでいます。

↓こちらの本は、ブッダの教えを現代に置き換えて説いていて、わかりやすかったです。

なぜかというと、私達が普段触れるもの(他人の言葉、テレビやネットなどのメディアから流れてくる情報等)は、感情論で溢れているからです。

感情を全く持つな、とは思いません。

感情を全く持たなくなったら無味乾燥な人生になってしまうでしょう。

ただむやみに感情的になるのは害だと思っています。

(だから私は感情で溢れているテレビをあまり見ないようにしています)

この本を読んで、人の悩みのほとんどは過剰な「反応」「判断」からだと気づきました。

無駄な「反応」「判断」をせず、心穏やかに暮らすためのコツを、考えてみました。

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※雨の日のお花の「観察」。自然に枝垂れている状態を撮りたい※

悩みを作り出しているのは「心の反応」

仕事・人間関係の悩みを持っている人は本当に多いと思います。

この事実は共有されていても、悩みの「原因」自体はあまり話題に上がりません。

でも悩みを取り除きたい、どうにかしたいのであれば「原因」を取り除かなければなりませんね。

人はなぜ、悩むのか。

その原因は「心の反応」であると本には書かれています。

確かに私達は日々生活する中で反応ばかりしていますね。

  • テレビで痛ましい事件が報道される。そのたびに犯人に対して憤りを感じる・・
  • 職場で理不尽なことを言う上司に腹をたてる。
  • 公共機関で迷惑をかける人に対して腹をたてる。
  • 自分よりすごい人と比較して「自分はだめだ」と思う。
  • どうしてこうしてくれないんだ、と家族に不満を持つ。

など。

こういった反応が悩みを作り出しています。

まずは、感情が揺さぶられたときには「私は反応している」と「理解」

することが大事ではないでしょうか。

判断はただの「妄想」

余計な悩みを持たないためには、「ムダな反応をしない」ことが大切だと

この本には書かれています。

なぜ私達が「反応」してしまうかというと、

「自分が正しい」

という思い込みがあるからだそうです。

しかしその「自分が正しい」という「判断」こそ、ただの「妄想」であると

この本には書かれています。

確かに、自分が正しいと思っていることは、生きていく過程で、親や先生、

友達、世間から受け取る情報を通じて出来上がってきた判断基準であり「絶対」ではないんですよね。

つまり、妄想に過ぎない「自分が正しい」という判断に執着して

現実に自分や周りを苦しめている・・

だったら、「自分が正しい」という判断はやめよう、というのがブッダの教えです。

心穏やかに過ごすコツ

以上のことを踏まえ、毎日を悩みなく、心穏やかに過ごすためのコツを私なりに考えてみました。

反応(判断)せず、まずは観察する

日々暮らす中でネガティブな情報を受け取ったら、

「正しい」「正しくない」

と反応(判断)する前に、まずは観察すること。

眼の前で起こっていることをまず観察し、「理解する」ことが

心を乱さずに済む方法と考えています。

これは自分の中に不穏な感情が湧き上がったときも同じです。

イライラや、不満などが出てきたら

「いま、私はイライラしている。不満が溜まっている」

と感じ、「原因は、承認欲(人に認められたいという気持ち)だ」

と素直に認めることで、だいぶ楽になるはずです。

善悪より、「役に立つか」で考える

仏教でお馴染みのブッダは、

「私が言葉を語るのは、相手に利益となる場合である。」

と語ったそうです。

ここで考えたのが、子どもにこうしなさい、ああしなさい、という親のこと。

それは本当に子供のためになると思って言っていることなのか。

妄想に過ぎない自分の「判断」が混じっていないか。

本当に子供に有益であることを考えたら、

世間の常識とは真逆の方向にアドバイスすることもあるかもしれない。

親である自分は子供より正しい判断ができる、という考えも実は傲慢なのかもしれませんね。

判断好きの人をスルーする

ただの妄想に過ぎない「判断」をなぜ人はするのか。

それは、「判断をする」こと自体が気持ちいいからなのだそうです。

確かに、メディアでは「わかりやすい発言」をする人がもてはやされますね。

どっちつかずの状況は人を不安にさせますし、

結論をビシッと出してくれる人のほうが安心できるのは分かります。

他人が問題を起こしたときに、「ここが間違っている」と分析できれば

承認欲も満たせます。

テレビやネットではみんな判断することに夢中です。

ただその判断がただ気持ち良いだけでなく、執着しすぎて自分や他人を苦しめる

くらいになると害です。

「自分はこう思う。だから周りもこうすべき」となると。

(私はこう思う。だけだったら良いのですが)

もし判断ばかりしてくる人が周りにいたら、

「人は判断好きである」「この人は判断をすることによって承認欲を満たしている」

と思うことでスルーしましょう。

 

まとめ

むやみに「反応」「判断」せず、心穏やかに過ごすコツを書きました。

気に食わない人がいたら、

自分の思い通りにいかなかったら、

ムダな反応はせず、

「だからなんなのだ」

「で、私に(周りに)とって有益なことは?できることは?」

と心穏やかに過ごしたいですね。

 

編集後記

土曜日は、同業者の方へのコンサルティング。

この道数十年の大先輩でした。

私が話せることはすべて話し、満足していただいたようでよかったです。

 

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