自分が受けてきた教育が最善とは限らない 子育ては0ベースから親の考え方を見直すチャンス
8/232018
カテゴリー:子育て
昨日は、息子の16歳の誕生日でした。
自分の誕生日は今となってはただの通過点ですが、息子の誕生日はお祝いします。
幸運なことに大きな怪我や病気をせず、今まで成長してきてくれました。
その一方で、順風満帆に今まできたかというとそうではなく、少なからず子育てに悩む時期もありました。
そんな中で学んだことは、自分が受けてきた教育をベースに考えてはいけないということです。
自分が受けてきた教育が最善とは限らない
親となって自分を含め周りを見て思うことは、「自分が受けてきた教育」をベースに子供にもそれを教え込んでしまうということです。
例えば、
「ちゃんと勉強して、良い学校に入らないとまともな仕事に就けない、貧乏で不幸になるよ」
は、私の親世代から受け継がれた考え方です。
当初親になった頃は私もこういった考えでした。
でも、今は全くこの考え方は「違う」と思っています。
そもそもお金がたくさんある生活が幸せとも限らないと思っていますし。
「学校にとにかく行かせること」という考え方も。
学校を休むこと自体が「悪」と教え込まれたので、どんなに気分が落ち込んでいても微熱があっても学校に行っていました。
一方で現在親になった私は、形式的に学校に行かせることは意味がないと思っています。
そもそも自分が受けた教育は一世代前のものですし、大体が今の時代に合っていません。
そして、当然ながら子供は自分とは全く違う人格を持った人間です。
その時代に合った、その子供に合った教育というものがあるはずですし、自分が受けた教育が最善だと思いこむのは危険だと思っています。
子育てはゼロベースから価値観を見直すチャンス
子育てをしていると、たまにデジャブのようなことがおきます。
あ、このシチュエーション私も経験しているな、と。
私は今よりも子供のときのほうがずっと辛いことが多かったので、幸か不幸か子供の頃の出来事はよく覚えているのです。
子供ながらに、親の発言に対して
「なんでここまで言われなきゃいけないのだろう」
「これは間違ってることじゃないのか?」
と言われたことを鵜呑みにすることはなく、疑問に思っていました。
(もちろん今は育ててくれたことに感謝する気持ちの方が大きいですが)
なので自分が言われて辛かったこと、疑問に思ったことは発言しないように気をつけています。
どんな問題もゼロベースから考え、何が最善なのかを考えることだ大事だとおもっています。
子供がなにかに苦しんでいるときは、すぐに親が反応して解決策を出さない。
すぐに解決策を出さず一緒に苦しんで考えることが最善だったりもします。
子育ては、ゼロベースから考え方を見直すチャンスではないでしょうか。
編集後記
昨日は、義母のおうちで私、夫、義母の3人で息子の誕生祝い。
憎たらしくて、幼くて、先々不安の残る人ですが見守っていきます。
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