コスパ、タイパ以外があるから人生楽しめる
- 2025.07.16
- 仕事へのスタンス

ここ数年、「コスパ」「タイパ」という言葉が世の中に定着した気がします。
人と話を合わせるために映画を早送りで見る、なんてことは
もう当たり前なのかな、って思います。
もちろん必要な場面もあるけど、
私はむしろコスパ、タイパ以外の世界があるからこそ人生を楽しめると思っています。

*一銭にもならないピアノの練習を毎日
コスパ、タイパは人を平均的にする
ちょっと断定しすぎかもしれませんが、
コスパ、タイパを最重視している人で
それほどおもしろい人はいない、と確信しています。
その理由は、何事もまんべんなくやって要領よく生きよう、
という考えがメインなので平均か、それよりちょっと上くらい
までしかいけないからです。
これって学生時代の「お勉強」と近いかもしれません。
平均的に良い成績をとっておけば良い会社に入れる、みたいな。
でもそういう平均的な人間になったところで、
人生を楽しめるかと言うとそうでもない気がします。
(と豪語する私は体育の成績がサボりすぎて5段階中1でした)

*お勉強は昔から努力できなかった
楽しさは外れ値から
楽しさは、ある意味平均とは真逆のところからでてきます。
傍目から見たら、
なんでそんなこと続けてるの?
それ、役に立つの?
ということをずっと続けられる。それが外れ値だと思っています。
例えば最近、同じ税理士の方で
「書道が好きすぎて師範とっちゃった。仕事する暇ないわよ」
と言っている方がいて、うわあ魅力的…と思ってしまいました。
その熱量が
周りの人にも伝わって認められたり、
「結果的に」成果につながることもあると思っています。
(もちろんすべての人がそういうわけではありませんが)
これって、「コスパよく」「タイパよく」
要領よく行動している人にはなかなか見えない部分だと思います。
なんの反応もないブログを1年書き続けることができたのは
私ごとで恐縮ですが、
独立した年に、営業のために毎日ブログを書いていました。
結果、1年近く反応がなく、仕事も得られませんでした。
でも確実に、「あ、私は書くことが苦しくもあるけど天分なんだな、書かずにはいられないんだな」
ということになんとなく気づけました。
もちろんSEOを意識して、ターゲットを意識して…
といったテクニカルな部分も勉強したけど、それ以上のものが
なかったら1年も反応ないブログを続けられなかったと思います。
どう考えてもコスパ・タイパ悪すぎます。
今私はこのブログ含めメルマガ、note等で日々「書く」こと
をしていますが、それも
タイパよく、コスパよくしていることではありません。
いくらでも文章を書ける!と言われているAIもほぼ使いません。
書くこと以外にも、
- 店で簡単に買えるパンを手作りする
- プロになるわけでもないピアノを毎日練習
- 数千円で買えるバッグを数日かけて手作り
- 下手くそな絵を毎日描く
- 写真家でもないのに毎日写真撮って日記
- 読み応えあるけど仕事に役立たない小説を休日全部使って読む
とか、コスパ・タイパ度外視でやってることは結構あるなと。

ビジネスに邁進してる人や、効率的に勉強している人を見ると
焦ったりすることもありますが
こういう役立たないことを続けられる自分って幸せだし、結構好きかも。
なんて密かに思ってます。(←全然密かじゃない)
もちろん、こういうことができるのも
仕事を依頼してくださるお客様がいるから。
だからこそ、「このお客様は1時間あたりいくらだから…」
とか、コスパ・タイパだけで考えるような
関係性ではない仕事をしたいです。
編集後記
月曜日は、日米租税条約に関する個別相談。
租税条約関係は、相談の多い分野のひとつです。
なかなかヘビーな内容ではありますが、
複雑なルールを読み解き、お役に立てたときの満足感は高いです。
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