物理的・心理的に人との距離をとる。近すぎることの弊害
5/222018
カテゴリー:人間関係
本日夜東京で打ち合わせがあり、帰りの電車に乗っていたところ
「○○駅でお客様同士のトラブルが発生し・・」
とアナウンスが流れ、しばらく電車がとまりました。
それを聞いて
「そうだよなあ、これだけ人との距離が近いんじゃトラブルにもなるなあ」
と久しぶりに混んだ電車に乗って思いました。
物理的にも、心理的にも人との距離はある程度取らなければいけないと思っています。
物理的に近いのは日本の文化?
日本は国土も狭いし、都市に人口が密集しているのである程度人との距離が近いのは仕方ないと思っています。
それでもたまに東京の方へ行くと耐えられないくらいの人との近さに消耗します。
特に、ゆっくりしたいはずの喫茶店。
○トールなんかはちょっと手を伸ばしただけで人に当たってしまう距離。
隣で話している人の声なんて全部聞こえてきます。
会社も、人との距離が近いですね。
ずっと外資系の会社に勤めてパーテーションが当たり前だった環境からすぐ隣に人がいる日系企業に転職した時は、
「えっパーソナルスペースほとんどないじゃん・・」と。案の定、集中できませんでした。
諸外国と比べても日本は一人あたりの居住スペースもかなり狭いようです。
もともと襖隔てていろんな人が出入りする平屋のような文化が日本にはあるということも関係しているかもしれません。個より集団としての文化も根強いです。
とはいえ私のように「パーソナルスペースが狭い」と考えられている人も結構多いのではないでしょうか。
心理的に近すぎる距離も弊害
物理的な距離に限らず、心理的な距離が近すぎることも弊害になります。
例えば、昨今「友達親子」と呼ばれる親子関係がありますが、これも心理的な距離が近すぎる弊害だと思っています。
あくまで親子は親子。ある程度親が上からリードしなければいけないと思っています。友達のようなゆるい関係では依存関係が生じます。
家族はともすればすぐに心理的に近づきすぎて弊害を起こす1番の環境ではないでしょうか。
ついつい「夫だから」「妻だから」「子供だから」と甘えてしまいますが、そういった役割の前に
「一人の人間」として扱わなければいけないと思っています。
そのためには物理的にも、心理的にも一定の距離を置くことが大事です。
1日の中にひとり時間は絶対必要だと思う
電車内でトラブルを起こす人たちを見て。
もう少し物理的・心理的に人との距離をおき、ひとり時間の重要性を認識しても良いのではないかと思いました。
思った以上にひとりの時間って1日の中で少ないことに気づくはずです。(私はフリーランスなので多めですが)
他人と円滑にコミュニケーションを行うためには、まずは自分の中にある思考を熟成させる過程が必要です。
朝は満員電車、昼は会社の人たちに囲まれ、夕方も満員電車、帰ってからは家族と接し・・とひとり時間を持てない環境の人もたくさんいると思います。
そんな場合は意識的に誰にも邪魔されないひとり時間(早朝がおすすめ)を持つことをオススメします。
私の場合、受験生時代は「勉強時間」で保っていました。(これだったら大義名分があるし、誰にも反対されない)
勉強しながら、たまに自分の思考整理もしていました。
今はひとりでこういったブログを書く時間が精神的安定に役立っています。
意識して、人と物理的・心理的に距離をとってひとり時間を確保してみませんか。
まとめ
人との距離が近いなあ・・と以前から思っていました。(だから独立したのかもしれません)
もちろん人はひとりで生きていけませんが、物理的・精神的に人との距離を一定間保つことは円滑な社会生活を送るのに必須だと思っています。
編集後記
昨日は、以前メール相談をしていただいた方の対面相談を。
非居住者→居住者のタイミング、全世界所得課税+外国税額控除について説明させていただきました。
国境をまたぐと急に税金は複雑になりますね。
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