「昔はよかった」とは思わない
11/272024
カテゴリー:思考すること
たまに、「昔はよかった」と言う方がいますが、
私はあまりそういう考えはないです。
未来志向的な部分もありますが、
トレードオフの考え方があるからです。
核家族化を例に書いてみます。
※私が通っていた小学校(今は美術館)
「大家族の時代はよかった」
先日、とある方のラジオで「核家族によって生じた弊害」を聞きました。
核家族は、親と子どもだけの世帯です。高度経済成長期(1950年代〜1970年代)に増加し、一般化したとされています。
核家族化によって、
- 老夫婦が年金だけで暮らさなければならなくなった
- 夫婦だけで子どもを育てなければならなくなった
ということをおっしゃられていました。
確かにそうだったなと。
実は私(1978年生まれ)は大家族のもとで育ちました。母親を小さいときに亡くしていたので、父親が東京の実家に帰り、祖父母、私含め4人の子どもとともに7人で暮らしていました。
確かにあの時代、祖父母は私たちを母の代わりに育ててくれて大変そうだったけど、
おばあちゃんはお金の心配もなく(息子である父親のお金を使って)習い事を楽しんでいたし、
近所の人の協力もたくさんあって、そこまで切迫した感じではありませんでした。
そういったこともあり、
「昔は家族や近所の助けもあったしよかった」
という意見が今でもあるのかなと。
でも、私は核家族のほうがいい
じゃあ、昔のように親と一緒に住む脱・核家族化がいいのかというと。
私は正直自分だったら嫌だなあと思いますね。
実際、小さい頃近所の友だちは核家族が多かったのですが、
「いいなあ家が静かで」と思ってました^^;(家族7人、想像していただければ、、、)
ましてや、これまで全然関わりのなかったパートナーの父母と一緒に住むのは。
色々助けてもらうこともあるかもしれないけど、
面倒なこともたくさん発生すると思うんです。そして、実際にあったと思うんです。(嫁姑問題っていまだにありますよね)核家族化がすすまなかったら、女性はもっと家の中に閉じ込められていたのかもしれないと思ってしまいます。
もちろん核家族にも大変な面(お金やリソースなど)はあるけど、それ以上にしがらみがなく、特に女性にとっては自由に働ける心境になれるなど、得られるものが多くあると思っています。
結局、物事はトレードオフだから
結局のところ、「昔はよかった」は思考停止な部分もあって、
昔と今を比べてトレードオフになっている部分を考えれば
今のほうがいいよね、という結論になることが多いと思っています。
自由なひとり時間を犠牲にしてまで、他人に助けてもらいたいとは私は思わないです。
核家族の弊害を埋めるための選択肢として、必ずしも大家族になる必要はなくて。
リソースが足りないのであれば
地域のコミュニティを活性化させるとか、
世代を越えた居場所をもっと作るとか、
疑似家族的なものを増やしていく方法もあると思うんですよね。
「ネットによってつながりが希薄になった」というのも、
どこかで聞いただけの話であって、実際は
そんなことないですよね。
私が今暮らしている鎌倉の場合、
色んなところで色んな取り組みをしている方がいて、
話しかけると皆さんとても気さくで親切です。小さなつながりを持てている気がしています。
そして、ネットの世界でもあたたかい空間は作れるし、それがリアルと境界なくつながる感覚もあります。私の場合、オンラインコミュニティづくりを通じて、それを感じています。
結論、自分のちょっとした行動一つで世の中の見る目は変わるし、
絶対的な良し悪しはなく、ほとんどのことはトレードオフということに気づきます。
「昔はよかった」と言う前に、「今何ができるか」を考えて、一歩踏み出してみることが大切と思っています。
編集後記
昨日は、コミュニティメンバーが会計、簿記の教え方のワークショップを開いてくれました。自分たちにとっては当たり前の知識だけど、それをわかりやすく説明するためのスキルというのは新鮮で、考えるきっかけになりました。
その後久しぶりに明月院付近を散策。
明月院までの道は混んでいるのですが、通り過ぎるととたんに人がいなくなって快適です。
お気に入りのカフェで暖炉を見ながらカフェラテを頼みました。
最近のあたらしいこと
エクセルシオール スイートポテト