映えないVlogの理由を考えてみた

アクションカメラの「Osmo pocket 3」を買ったことをきっかけに、Vlogを撮ることが増えました。
ふと、気付いたことがあります。
私のVlogが、非常に映えないことです。(←今更)
その理由を考えてみました。

※教会内のバイオリンコンサート
他の人のVlogと比べると
少し前に、オーストリアのウィーンに8日ほど旅行に行きました。そのときに撮ったVlogを残しました。
オーストリア旅行に行った人のYouTubeがたくさんあるのは知っていましたが、
行く前に一切見ませんでした。
私の旅は「滞在型」なので、その場にいることを楽しむのと、趣味のクラシックのコンサートをひとつでも行ければいいかな、くらいにしか思っていなかったからです。
ふと、帰った後に気になって他の人のVlogを見てみたのですが…
明らかに私とは異なってました。
どこへ行けば楽しい、どこへ行けば美味しいものが食べられる、
といったことをちゃんと伝えていて、見ていて面白いし、刺激があったのです。
私のVlogにはそういう面白さや刺激が一切ないのでした。この違いはなんだろなと。
自分のために動画を撮っている
一番の理由がわかってしまいました。
それは、動画を、一番には「自分のために撮っている」からです。
(YouTuber失格?というかYouTuberという意識はないですが)
これまで、旅には色々行ってきたのですが、
意外と行ったところや食べたものって忘れてしまうんですよね。


そういうのを記録して、後から「自分が」楽しむために
撮っている点が大きいんだなあと思いました。
他の方のVlogを見ていると、
「視聴者」の眼差しを一番にしているため
余計な部分は全部カットされているように見えます。
「ここは行っておくべき!」と強調された
素敵な観光地、美味しそうなレストラン、きれいなホテル…など。
ものすごい努力だと思います。
でも、私の場合
「ホテルで自炊した料理」
「朝散歩した近所の町並みや公園」
「ハイドン、モーツアルト、シューベルト、リスト等の曲中心のクラシックコンサート」
とか、自分にとっては思い出深いものでも、
視聴者にとってはあまり興味なさそうな
ものが多いのです…。

だったら公開せずに、自分だけで楽しめばいいのかもと思ったのですが
動画を編集して思い出に浸るのも好きだし、
「作品」として残したい気持ちもあるし、
「動画楽しみにしてるね」と言ってくれる人たちも多少なりともいて、
結果として映えないVlogをアップすることにしています。
その場所に「いる」「没入する」を重視
もし私が視聴者を最大限意識したVlogを撮っていたら。
町中でカメラを意識して実況中継をはりきってしていたら。
その場に「いる」「没入する」ことを楽しめなかったかもしれません。
もちろん、これはVlogを撮ることの「目的」の違いなので
どっちが良い悪いではないです。
私の場合、その場所に「いる」「没入する」が旅の最大の目的で、
Vlogは記録を残すための補助的なものだったりします。
視聴者の方にはちょっと退屈かも。
とはいえ、どんな動画を撮るかは本来自由。
「一番は、自分のためであるVlog」もありなんじゃないかな、と
思った次第でした。
編集後記
ハンガリーでおすすめされた調味料(チリソース、チリペッパー)がとても美味しくて、料理に活用しています。お肉にちょっとかけるだけでも。
チリソース系って、あまり日本では流行らないけど
タコス、ケバブ、チリコンカン、トルティーヤなど美味しいものたくさんありますよね。
もっといろいろ試してみます!
(ちなみに真ん中のトリュフチョコは美味しすぎてオーストリアで完食)

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