先日、Twitterで

「日本の公共機関はうるさすぎる」

という投稿を見かけました。

例えば、飛行機内は理想の空間(必要最低限のアナウンス)であるのに、空港内やそこに行くまでの電車内・ホームでは過剰なアナウンスで騒音がひどい、とのこと。

なんとなくこの投稿にピンときました。

海外に行くとよく分かるのですが、公共機関(電車、バスなど)は必要最低限のアナウンスで、音楽もなく静かだった気がします。

街には必要最低限の注意書きしかありません。

日本のサービスはある意味丁寧なのだと思うのですが、その一方で生産性の低さの原因になっているのではないでしょうか

過剰なアナウンスは防衛のため?

電車が発車するまでには何度もアナウンスが流れます。

「白線の内側までおさがりください」

「整列乗車にご協力ください」

「前の人に続いてご乗車ください」

「駆け込み乗車はおやめください」

「ドアが閉まります(何度も)」

正直、子供ならまだしも成人した大人にここまでくどく注意する必要あるのかなあ、と思います。

危険察知能力は成長の段階で身についているものです。

鉄道会社も、ひとたび事故があると責任を問われるからその防衛のために過剰に注意を促しているのもあるのでしょうか。

酔っ払った人の対応なども、人がやるので余計な人件費がかかってしまいます。

形式的な謝罪は人間の仕事?

電車が遅延すると、何度も流れるアナウンス。

車掌さんは事細かに状況説明し、何度も謝罪を繰り返します。

形式的に必要なのかもしれませんが、何度も何度も繰り返されるのは違和感があります。

列車遅延は誰にも防げないですし、鉄道会社の責任でもありません。

なので駅で怒鳴り散らしているおじさんを見るのも違和感があります・・。その対応も人間が丁寧に対応しています。

形式的な謝罪だったら極端な話人間がやらなくてもいいんじゃないかなあ、とも。

過剰なマニュアル

最近PCをMacに変えたのですが、説明書がほとんどないことに感動しました。(変な書き方ですが)

IPhoneも買ったときもほとんど説明書はなく、基本的には自分で好きなアプリを入れていくことになります。

今までPCや携帯、家電を買った時についてくる分厚いマニュアルとは大違いです・・。分厚いマニュアルは読む気ないです。

最近はググれば大体の解決方法が出て来るのでなおさらです。

消費者側も意識改革が必要

上記は一例ですが、日本は「お客様は神様」という考えがいまだに浸透しており、そのことが過剰サービス、生産性の低さに繋がっている気がします。

「なんでもやってほしい」「利用側は奉仕されて当然」の考えの消費者に企業が合わせていたら、生産性は落ちます。

もっと付加価値の高いサービスをしたいと思っているのにできない・・なんてこともあるかもしれません。

長らく消費者に手厚いサービスが提供される状況が続くと、それが当たり前になってしまいます。

消費者側も、自分で考えて自分の責任で行動する(変なモノを買ったり、サービスを申し込んでしまったら自分の見る目を鍛えるなど)姿勢が必要となるでしょう。

※余談

私が小さな頃自宅近くにあった商店では、普通に賞味期限切れの食べ物が売られていました。

うっかり買ってしまった時は「やっちゃった!次からはちゃんと見て買おう」と自分が反省したものです・・極端ですがこれも自己責任かな?と。(クレーム入れてもよかったのですが(^_^;)

まとめ

日本の生産性の低さは過剰サービスが原因では?と感じたことを書きました。

鉄道会社など多くの利用者を相手にする会社は様々なニーズに答えなければいけないので生産性を上げるのは本当に大変なことだと思います。

しかし甘えのある消費者に合わせていたらいつまでの過剰なコストがかかったままです。

消費者側も「してくれて当たり前」の考えから脱却する必要があります。

1人ビジネスの場合は、無理な要求をしてくる人と1人でも関わった場合それだけで存続の危機になりますので、「誰と仕事をするか」は非常に大事ですね。

編集後記

昨日は午前中過年度の申告の修正業務、午後は旅行用の靴を買いに。

旅行用の靴は歩きやすさを重視すると見た目悪いし、難しいです。

« »