ここ最近気になるワードが、「センス」「美意識」「アート」だったので、自然とこの本をとりました。

経営と美意識の関係性を考察している本です。

 

今自分自身が小さいながらも独立し、様々な経営者の方や同業者の方と接して感じたことが、

「仕事ができる人=センス(美意識)のある人なのではないか?」

という仮説です。

センスがある、というのは別に「服装がオシャレ」「オシャレな場所に住んでいる」

という表面的なものではなくて。

もっと内面的なものです。ちょっと固い言葉でいえば信念だったり、哲学だったり。

この本を読んで、その仮説が正しかったと確信できたような気がします。

正解のコモディティ化の時代に必要なものは?

この本の冒頭に、世界的に有名な美術系大学院にグローバル企業の幹部が続々と入学している、

ということが書かれていました。

アートと経営、という一見関係ない取り組みですがその理由ははっきりしていたようです。

それは、「分析」「論理」といったものを重視するスキルの限界です。

一時期流行ったMBAなどもその1つです。

多くの人が分析、論理スキルを身につけた結果、正解のコモディティ化が進んでいるという問題です。

そして「論理的」「分析的」に関して人間が絶対に勝つことのできない人工知能が進化していることも関係するでしょう。

実際、これだけ情報が誰の手にも行き届いていると、法律やルールでは縛れない事項が多く、「正解のない問題」があちこちに現れます。

あるいは、ルール・法律に従っていても倫理的にどうなのか?という判断も増えてきます。

そんなときに拠り所になるのがその人の持つ「ビジョン」「信念」「哲学」、言い換えると美意識だと著者は書いています。

過度に論理的だと、コンプライアンス違反のリスク

著者は、昨今の大手企業のコンプライアンス違反や労働問題は、「過度なサイエンス(論理)重視」の問題が関わっていると考えています。

論理重視の世界では、数値目標が合理的です。

そこで、会社で真面目に働く人たちは無理だとわかっていても高い目標のために頑張ります。

そして最悪の場合行き着くのがコンプライアンス違反や、過労死問題です。

このような行き過ぎた論理(数値)重視の経営はどこかで限界がくる、と著者は指摘しています。

日本のような成熟市場では数値目標を過度に推し進めるのは大変危険なことだと私も思います。

経営に必要なのは一番にアート(ビジョン・哲学)、そしてサイエンス(論理)、クラフト(経験)

もちろんアート(ビジョン・哲学)だけではだめで、経営に必要なのはアート、サイエンス(論理)、クラフト(過去の経験)をバランスよくしていくことと著者は言っています。

よく経営者にはアート型の人がいて、側近に論理思考の優れた人、経験が豊富な人で固めることが多いことでも納得ですね。

確かに守りは必要です。

ただ大事なのはトップはあくまで「アート」ということです。

よく会社で不正があったときに使われる理由が「会社のために・・」「従業員のために・・」「上から支持されたので・・」

などありますが、どれも「他人、外部が基準」となっていて「自分のアート(哲学・信念)」ではないのが特徴ですね。

会社では自分の倫理よりも会社のルールが優先される、そんな状況では働く人が矛盾を抱え心を閉ざしていく結果になるのは当然ですね。

自分の言葉で生きることが美意識につながる

「美意識を学べ」というと、分厚い哲学書を読んだり、絵を描いたり、音楽を聞いたり・・と重く考えてしまいがちですが、恐らくそれはほんの一部分ではないかと思います。

今からでもできるのが、自分の内なる言葉を研ぎ澄まし、自分の言葉で生きていくことではないかと。

いくらドラッカーや松下幸之助さんの素晴らしい本を読んでも、すごい人のセミナーに行っても、それを「自分の内なる言葉」に置き換えなければそれは自分のエッセンスにはならないと思います。

拙くても、品行方正でなくても、「自分の言葉」を持つことが経営だけでなく生き方にも影響します。

「○○さんがこう言ってました〜」「ルールはこうなってます!」

って字面を見ても美しさを感じられないですよね・・

自分の言葉を持つ人はセンス(美意識)を感じられます。

私はもちろん世界のエリートでもなんでもないですが、自分の内なる言葉を磨くために毎日拙くとも、発信していきます。

まとめ

経営に美意識がなぜ必要なのか、現在の日本企業の論理重視の現場を指摘、考察した良著です!

編集後記

母の日は、何も息子から品物をいただけなかったので(「お弁当いつもありがとう」という声がけのみ)、自分でケーキを買って慰めました。。

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