世の中、白黒つけたがる風潮が強い気がします。

例えば、

「仕事とプライベート(ワークライフ・バランス)」とか。

「健康と不健康」とか。

そういった「人間の頭の中だけで区分された世界」

ってすごく生きづらいと思います。

そこで、私は敢えて「曖昧さ」を大事にしたほうが

生きやすい、と提案します。

※どこの国にきたのか分からない、言語が入り混じった曖昧な環境

仕事に来たのか、プライベートで来たのか、曖昧

10日ほど海外に来ているのですが、

出張の予定でも、バカンスでもありません。

単に「海外にある程度の期間行きたい」

という曖昧な目的を叶えるために勝手に行きました。

 

おそらく多くの人は

「10日程度の海外旅行=バカンス」

を思い浮かべるかもしれませんが、

かなり異なった日々を送っています。

 

普段より量は落としていますがPCを持ってきているので仕事もしていますし、

ホテルのサービスはなるべく利用せず

外に出て電車やバスに乗ってスーパーへ行ったり、本屋さんへ行ったり、

フツーの生活をしてます。

 

 

なので私のこの状況は

「出張」でもないし「バカンス」でもない。

だから人に説明するのは難しく曖昧な状況なんですが、

自分にとってはこの仕事なんだかプライベートなんだか

よく分からない状況がとても心地よいのです。別に目的なんかなくても人はどっか行きたくなるものです。

 

こういう仕事+旅の組み合わせは

「出張」「バカンス」

という言葉の定義にこだわってたらできなかったでしょう。

曖昧な目的だからこそできたと思ってます。

 

ひとことで説明できる職業は危うい

もうひとつはっきりさせないほうが良いもの。

それは「職業」だと思っています。

一言で説明できる仕事は便利でもあるのですが、

同時に危ういとも思うのです。その職業がなくなったら大変ですから。

 

思い返せば、

わたしが尊敬する人たちは

みんな「何やってるんだかよく分からない」人が多いんですよね笑。

なんかよく分からないけど、食べていってる。

わたしも税理士という仕事を主軸に置きつつも、

「なんとなく食べていってる」

、そんな曖昧な状態が理想です。

「もし○○がなくなったら、▲▲で食べていく」

こういう考え方のほうが、心理的にも楽に生きられます。

 

健康にも成功はない

もうひとつだけはっきりさせない方が良いと最近思うものがあります。

それは、健康ですね。

近年は健康診断もいろんな項目を「数値化」してきて

それで問題なければ安心する、といった風潮があるように思います。

 

でも人の体って数値で判断できるほど「絶対的な正解」ってあるんでしょうか。

ちょっとした個体差、遺伝でその人の正解って異なるのではないでしょうか。

 

最近読んだ本で「フィンランド症候群」というものを知りました。

一定期間健康診断を受けた人と、受けなかった人のその後の死亡率を調べたところ、

受けた人のほうが死亡率が高かったとという調査です(フィンランドのヘルシンキでの調査なので

この名前がついてます)

 

結局健康診断を受けると、高齢になれば必ず悪いところが見つかる。

→無理に薬を投与して治そうとする→薬が合ってなかった→寿命が縮む

といったことがあると。

 

健康診断の「数値」も正解主義のひとつと考えると、

もう少し人の健康も「曖昧さ」があってもいいんじゃないかな、と思うんですね。

「カロリーが。。」「栄養が。。」と気にしてる人より、

好きなものを好きなときに食べてる人の方が元気だったりしますし。

数値にこだわるより、毎日、自分の体と丁寧に向き合うことのほうが大事

なのでは、と思います。

ここでも健康診断で「正解」をはっきりさせず、

「曖昧さ」を受け入れる大切さを感じます。

 

というわけで、「シンガポール料理に少し疲れた」

とわたしの体が訴えているので、

サラダと味噌汁を食べました笑。

 

まとめ

正解主義がしんどい世の中を作っているんじゃないか、

と思い「曖昧さ」を持って生きることのススメを書いてみました。

 

編集後記

シンガポール滞在中は

敢えて観光客の行かないようなところ(地元住民が行く食堂とか)

へ行ってます。文化の違いを知ることができて、面白いです。

 

最近のあたらしいこと

チョンバル

サルタン・モスク

シンガポール国立博物館

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