松浦弥太郎さんの本が好き

「暮らしの手帖」の元編集長である松浦弥太郎さんの新刊

『エッセイストのように生きる』

を読みました。

 

松浦さんの本は大好きで、

いつもたくさんのヒントをもらっています。

[お勧め本]さよならは小さい声で 松浦弥太郎 著

 

この本の中にも書かれている、

「ていねいな暮らし」

について、先日Voicy(ラジオ)で

「言葉だけがひとり歩きしてしまった」

とおっしゃられていて、とても印象的でした。

 

そこで、今日は私が思う「ていねいな暮らし」

について書きます。

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ていねいな暮らし=意識高い系という誤解

ちょっとびっくりしたのですが、

「ていねいな暮らし」の言葉を聞くと

「意識高い系」

などと揶揄する人も多いのだとか。

 

ちょっとネットで

「ていねいな暮らしアピールしている人」

で検索してみたところ、

「味噌を手作りしてる人」

と書かれていて

「ええー!私じゃん」

と思ったんですね(味噌は数年前から手作りしてます)。

 

他にも、

朝は白湯を飲むとか、

ヨガをやってるとか、

カフェでゆっくり読書するとか、

結構自分に当てはまるものが多かったです。

 

揶揄している人から見ると、

「ていねいな暮らしアピールが強い」

「お金に余裕がある人しかできない」

ということらしいです。

 

私としては

自分が幸せだからそういう暮らしを

しているだけなので

「こういうふうに思う人もいるんだ」

という発見につながりました。

 

ていねいな暮らしって何?

一方で、

そもそもていねいな暮らしって何?

という疑問を持ちました。

 

味噌手作りしてるとか、

ヨガやってるとか

個別具体的なことをもって

ていねいな暮らしと言えるわけでもないかと。

 

もっと深く掘り下げると、

ていねいな暮らしって

表面的なところじゃなくて

もっと人の考え方、視点など深いところにあると思うのです。

(松浦さんもそのことを本の中で書いています)

 

私が思うていねいな暮らし

色々考えてみたところ、

私が思うていねいな暮らしとは、

「何事も謙虚でいること」

なんじゃないかと思いました。

 

結局のところ、

モノや人を雑に扱ってしまうのは、

「自分はこれだけされて当然だ」

という傲慢があるからではないか。

つい、自分は周りの人に「生かされている」ことを

忘れがちです。

決められた仕事をコツコツこなす人の大切さ

 

 

ていねいな暮らしを発信している人に対して

揶揄する人も同じで、

自分に謙虚でいれば

「色んな人がいるよね」

と客観視できると思うんですよね。

(そもそも気に入らないなら情報を絞ればいいはずですし)

 

私は「ていねいな暮らし」をできているかわかりませんが、

普段の生活の中でちょっとでも謙虚な姿勢をとれたときに

ていねいになれたな、とちょっとした充足感を得られます。

 

大げさなことではなく、

ほんのちょっとのことです。

 

例えば初めて行った飲食店で料理が美味しかったら

「美味しかったです」と会計時に言うとか。

生ゴミをそのまま捨てずにコンポストにして

堆肥として循環させたりとか。

コンポストの始め方と、始めてよかったと思うこと。

 

いきなり「世界を良くする!」はできませんが

「まずは自分の小さな半径の中で気持ち良いことをしていこう」

という謙虚な気持ちが、

ていねいな暮らしにつながっていくと今は思っています。

 

まとめ

松浦弥太郎さんの本を読んで、

ていねいな暮らしってなんだろう。と

考えてみたことを書きました。

優しい文章のなかにはっと気づきを得られて

いつも心が動かされます。

 

編集後記

昨日は、使っていたお茶碗にヒビが入ってしまったので

近所の古道具屋さんで新しいお茶碗を購入。

鎌倉在住の陶芸家さんが作ってくれたらしく、

お名前もレジで確認させていただきました。

顔が見えるのって良いですね。大切に使おうっと。

 

最近のあたらしいこと

じゃこ入雑炊

先日読んだ気血スープレシピで、

雑炊が紹介されていたので早速朝食に取り入れたところ、

お腹の調子が1日良かったです。

お腹弱い人は朝、雑炊お勧めかも。

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