人の情報がネットで可視化される時代、

「あの人が羨ましい」

と思うことが多くなっていないでしょうか。

(私もそう思うときがあります)

程よいプレッシャーになればよいのですが、

それを通り越すと嫉妬や妬みなどの負の感情につながってしまいます。

そうならないために、立ち止まって次の3つのことを考えてみては

いかがでしょうか。

※動画編集をすぐ覚えた息子。羨ましい。※

良い部分しか見えていない

先日、田舎暮らしをしている人に

「近所に行けば皆知り合いで、

いざというときは助け合えるから

羨ましいです(都会ではそんなこと皆無)」

といった話をしたら、

「田舎は田舎で大変ですよ。人間関係が濃いのは良い部分もあるけれど

悪い部分もある。人とのつながりを保つためにそれなりのストレスはあります」

といったことをおっしゃっていました。

SNSに顕著ですが、

人の発信する情報は「良い部分」しか見えていないことが多いんですよね。

家族との仲良さそうな投稿ばかりをしている人が、

わざわざ

「今日は家族と喧嘩してひとり飯です・・」

なんて発信しないですし。

リア充な発信を見て自分と比べたくなってしまったら、

「この人もきっとひとり飯することもあるのだろう」

と思えれば気が楽になります。

その人の努力を見落としている

「羨ましい」の感情は、その人が、そこまで努力なく手に入れたものに対して

より多く芽生えるのではないでしょうか。

でもそれは勘違いである可能性もあります。

他人の努力は、目に見えにくいものだからです。

ひとは自分が頑張ってきたことが認められないと

気になってしまいますが、

他人が見えないところで努力して認められるとなんとなく羨ましくなって

しまうものだと思います。

(本当に、すべてにそつない人もいるかもしれませんが)

実態はどうであれ、どんなこともスマートにしていそうな人を前にしたら、

「きっとこの人は陰ですごく努力している」

と認めてしまうほうが気が楽になるのではないでしょうか。

既に自分が持っているものを見落としている

人のことを羨ましい、

と思っているときは

たいてい自分が既に持っているものを見落としています。

健康、家族、友達、仕事、お金・・。

人の欲は際限ないので、

自分が持っていないものを持っている人を見ると

つい自分と比較して落ち込む気持ちもわかります。

ただ、周りの人も自分のことを見て

「羨ましい」

と思っているのかもしれません。

(実際、「羨ましいです」と言ったらオウム返しされたこと、多くないですか?)

他人にばかり目がいくと

自分が既に持っている大切なものを疎かにしてしまうのではないでしょうか。

ときには立ち止まって外界を遮断し、既にあるものに感謝すれば、

過度に人を羨ましがるということを避けられます。

 

まとめ

「あの人が羨ましい」と思ったときに考えてみたいこと3つを書きました。

程よい尊敬のまなざしであれば良いと思うのですが、

通り越してしまい嫉妬や妬みにならないよう、

上記3つのことを常に思い出したいところです。

 

編集後記

昨日は、プチ出張で相模湖のほうへ。

リモートワークをコロナ前から実施している会社の決算等の打ち合わせでした。

仕事以外にも、美味しいレストランや美術館などに案内してもらい充実した1日でした。

 

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