週末、「コミュニケイションのレッスン」という本を読みました。

劇団作家・演出家の鴻上尚史さんが書いたコミュニケーションの基本の本です。

具体的なコミュニケーションスキルの他、日本語の特徴について書かれていて興味深い考察でした。

日本語は「世間」が根強く残っている

日本語の特徴としては詳細に説明しなくても通じる「あ、うんの呼吸」や「曖昧な表現」、「関係性の重視」が挙げられるのではないでしょうか。

人の呼び方にしても〇〇様、さん、君、ちゃん、など相手との関係性によって変わるのも特徴です(英語だと基本どんな人も” You “です)。

このような特徴のある日本語は利害関係のある身内など「世間」には通用しやすい言葉です。

「世間」は、基をたどれば江戸時代の村社会が始まりだと著者は言います。

村では、人々が生きていくために細かいルールを作り、価値観や考え方を統一する必要がありました。

「古きよき時代」というよりは、そうしないと生死にかかわるからという理由が大きかったからのようです。

一方、明治時代になってからは富国強兵という名のもと村社会という「世間」に適合するだけでは通用しなくなり、義務教育や税制、徴兵制、裁判制度を確立するために自分と利害関係のない他人と積極的に関わる「社会」に適合するよう国民は強制されました。

当然自分とは価値観の違う「社会」に対しては、「人は皆違う」ということを前提に、論理性・客観性が必要になります。

しかし今まで浸透してきた「世間」が簡単に壊れるはずもなく、村社会の考え方は形を変えそのままあちらこちらに日本の中に残るようになりました。

当たり前のように日本で長年存在している「年功序列制度」「終身雇用制度」や、町内会に参加しないことによる「村八分」、「公園デビュー」などがそうでしょうか。新しい言葉で言えば「空気」なんかも当てはまるかもしれません。

世間語は親しい間柄には基本的には有効

「他人行儀」「水臭い」なども日本語としてよく使われますが日本語の特徴をよく表している気がします。

日本語は、家族や恋人・友人など、ごく親しい間柄、すなわち「世間」だけにしか通用しない言葉が好まれます。

例えばテレビのバラエティー番組など当てはまるのではないでしょうか。

こういった番組はその場の「空気」が重視されます。

普段見ている人は問題ないかと思いますがテレビをほとんど見ない私がたまに見ると笑いのツボがよく分からないときがあります・・。

社内の飲み会もそうですね。外部の人間が参加すると知らない社内用語や人のうわさなどが出てくるとお手上げ状態になります。

また、長年連れ添った夫婦が互いにしか通用しないコミュニケーションをとる「空気のような存在」となるのも典型的ではないでしょうか。

このように、日本人は特定の利害関係のある間柄のコミュニケーションは得意な方ではないかと思います。

詳しく説明しなくても通じる「あ、うん」の呼吸は美徳として挙げられることが多いのではないでしょうか。

日本人は「世間」以外の「社会」の人たちと話すのが苦手

一方、日本人は明治時代以降強制された自分とは利害関係のない他人である「社会」と接するのが苦手であると著者は書いています。

分かりやすかった例が、電車でのおばさんたちの席取り合戦。

彼女たちは他人の目など気にせず「ここ空いているわよ!」と席を陣取り、「仲間」(世間)には手厚いサービスをします。

こういった行為は親しい仲間である「世間」は気にしているけれど、親しい仲間以外の「社会」は全く無視している状態です。

そう考えると、電車内でお年寄りに席を譲る人が少ないのも分かる気がします。自分にとって利害関係のない他人である「社会」と接するのが、慣れていないからです。

外国に行くと、それが顕著に分かります。

去年東欧の国チェコに行ったとき、バスや電車の乗り方で悩んでいると何人もの人が話しかけてきてくれました。

明らかに、東洋人が少ない地域で、しかもチェコ語で(^^;話しかけてきてくれる人もいました。

日本では見知らぬ外国人に積極的に話しかけている人は私は見たことがありません。

一歩外へ出たら、「社会」を意識しよう

この本を読んで一番強く思ったのが

「日本人は、『世間にしか通用しない言葉』で『社会』と接している人が多いのではないか」

ということです。

つまり、身内の人だけでしか通用しない「あ、うん」の呼吸を価値観もまるで違う他人にも適用していないか、ということです。

例えば、先日大阪で起きた電車遅延のクレームを受けていた車掌さんが自暴自棄になり線路に転落した後塀からも飛び降り大けがをしたという痛ましい事故について。

その車掌さんは飛び降りる前数人の乗客に囲まれてクレームを受けていたそうです。

東京や横浜でも頻繁に起きる列車遅延ですが、騒いでいる人を見ると

「どうやって責任とってくれるんだ!」

と言っている人が多い気がします。

これは典型的な身内などにしか通用しない「世間」に対する言葉ではないでしょうか。

社会に対して発言するのであればその前提や根拠、主張を論理立てて説明しなければいけないところすべてすっとばしています。

文句を言えば、誰か対応してくれるという甘えが感じられます。

しかし、駅員・車掌は、鉄道会社に雇われた「サラリーマン」に過ぎません。

怒鳴っている人と同様、与えられた報酬以上の仕事などする必要はないです。

昔の村社会のように考え方や価値観を統一させて暮らしていかなければいけなかった時代とは違い、現代は「人は皆違う」ことを前提にして言葉を選ばなければなりません。

怒鳴っている側は「自分はお金を払っている客なんだから、責任をとってもらうのは当然だ」と思っているけれど、駅員側は「面倒なことになった・・」という意識の差があります。

怒鳴っている側は冷静に淡々と自分はこういうことに困っている、あなたにこういったことをしてほしい、などと逐一説明しなければ価値観の違う相手(社会)に伝わりません。

(ただ、列車遅延は個人的にはどうしようもないとは思うのですが・・)

まとめ

「社会」とのやり取りに「世間」を持ち出していけないのは海外とのビジネスが最たるところではないでしょうか。

日本国内では通用する慣習でも、海外の人には通用しないことはたくさんあります。

日本人は「論理的能力」や「交渉力」が苦手と聞きますが、その原因の一つと考えられる日本語の特徴や歴史の背景を知ることも大事だと思います。

まずは身内だけに通用する「世間語」はなるべく控え、「人は皆違う」ということを前提とした「社会」に対する言葉を選択していくということが大事だと思います。

私も知らない間に一定の範囲内でしか通用しない業界用語など使用していないか気を付けたいと思います。

編集後記

昨日までアマゾンのKindleが5000円オフだったのでついに買ってしまいました。

5,6年前にまだ日本で販売されていない初代のKindleを輸入してから電子書籍とは距離を置いていました。

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こうしてみると随分小さくなったのがうかがえます。古いのはタッチパネルじゃないからアルファベットのボタンがついていました。だいぶ重量も少なくなりました。

Kindle Unlimited(読み放題)に入るかどうかは検討中です。。はまりすぎても困るかも(^^;

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