生成AIのClaudeに自分のブログの文章を読み込ませて、ブログを書いてもらいました。

ものの数秒で2000文字程度のブログができました。

これでもう自分でブログを書く必要はないのでしょうか。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

※自分で文章を書く必要はなくなる?

書いてもらったブログ

今回書いてもらったブログは、こんな感じです。

自分のブログ記事をknowledge(データの保管庫のようなもの)に保存して、そのデータを元に記事を書いてと頼んだんですね。

テーマは、「AI時代におけるコミュニケーション」。自分でも書いたテーマですが、AIバージョンとして。

見た感じ、とても整っています。かたすぎず、やわらかすぎず。このまま投稿してしまってもよさそうなくらいのクオリティです。

ただ…致命的につまらないんです。なぜなのか、理由を考えてみました。

逸脱・衝動・ノイズがない

ほぼ毎日何かを書いている身として、自分でも

「あ、またやっちゃってるな」と思うのが「逸脱」です。

私の文章は、途中で論点がずれることが多いです。

わざというわけではないのですが、書いているうちにこれまでの点がつながって書かずにいられなくなる衝動があり。この衝動によりどうしても逸脱してしまいます。

この逸脱、「安心して文章を読みたい」人にはノイズかもしれませんが、

私はこの「ノイズ」が人を魅了するものと信じて(本当にノイズだったらごめんなさい)

浮かんできたらそのまま言葉にしてしまいます。

ですます調できてたのに

「〜なのだ。」と急に語尾を変えてしまうことも。(メルマガでしょっちゅうやってしまいます)

↓こんな書き方をたまにしてます

※「ひとりで働く女性税理士のリ・ライフマガジン」より抜粋

私が他人の文章を読むときも、

「え、こうきたか」

と思う瞬間があってそういうときにその人に魅力を感じるんですよね。

綺麗に書かれたAIの文章には全くこのノイズがない。だからつまらないんだと思います。意図的に衝動を表現して逸脱するAIは、今のところ難しいんじゃないかな。

リアルな体験談がない

AIが書く文章で面白くないと思う理由は、書く人のリアルな体験談がないからなんですよね。

もちろん、「体験談を交えて」とお願いすれば書いてくれますが、

なんというか…やっぱりリアルっぽさがでないな、という感じです。

(「私の仕事はAIに取って代わられてしまうのでは?とか思わないし)

個人の体験談って、ものすごくオリジナルなもので、

全く同じ経験をしてる人っていないと思う。だからこそ価値があると思うんですよね。

AIがいくら体験談をでっち上げたとしても、そのときの強烈な体験に関する言葉って、言語モデルから統計的に組み合わせられたものとは大きな違いがあると思っています。

この溝は、どんなにAIが進歩していっても埋められないのでは。

とはいえ、毎日自分で文章を書いて、

多くの文章に接している人間だからこそ敏感になれるのかもしれません。

ただひとつ思うのは、AIで作った私っぽいブログでは人の心を動かすことはできないだろうな、ということです。

編集後記

週末は、久しぶりにハンドメイドを。ワンピースを作りたくて。裁断が一番エネルギー使うんですよね。

最近のあたらしいこと

遠近法を使ったお絵描き

デッサンの基本、遠近法を勉強しています。

消失点が1つなのか、複数なのかで全然雰囲気が違って、面白いです^^

毎日描いて、コミュニティ内にさらしています。他者の目が程よい緊張感になっています。

« »