ありがたいことに、

自分でセミナーをする、

外部から依頼されて講演する

機会があります。

その際、注意していることが「コンテンツリッチ」にならないことです。

※参加者が考える余白のあるセミナー

コンテンツリッチ=情報詰め込みすぎ

コンテンツリッチとは、簡単にいうと情報詰め込みすぎのことです。

よく、文字がびっしり入ったセミナースライドを見かけますが、

あのイメージです。

※たまたま見かけたコンテンツリッチなページ

一方、私が好んで作るのは余白のあるコンテンツです。

いつも作るスライドはなるべく文字少なめ、

図解などのビジュアルを多くしています。

(自分のセミナーではセミナースライドを印刷する意味がないと思っているのでしてないのですが、講演では印刷されてしまうのでスカスカだし紙がもったいないしで気になります、、、ペーパーレスは??)

コンテンツリッチの問題点

「情報の詰め込みがなぜ悪いの?」

と思われる人もいるかもしれません。

私が一番の問題点だと思うのは、

考える余白がなくなる

ということなんですよね。

「情報」だけ知りたいのであれば、本やWeb記事で十分ではないでしょうか。今だったら生成AIだってあります。

わざわざ時間をとってその場を共有するのであれば、

講師からの一方通行的な情報提供ではなく、

参加者が考える余白がある状態のほうが好ましいと思うんですよね。

考える「余白」をもたせる

この「余白」の考え方、すごく大切だと思っています。

セミナー参加者は、情報を得るよりも、

その場所、その空気のなかで何かを感じ取り、行動に移すこと

大事だと思っています。

ですので、

私は一方的に文字びっしりの資料を渡されて講師の方が話すだけのセミナーに行きません。

リアルの臨場感を大事にしているので、よほどのことがない限りリアルで参加します。(アーカイブ動画だと、見なくなるので)

資料は二度見ることはありません。

そのとき感じたこと、行動に移せそうなことをメモすれば十分ではないでしょうか。

そう考えると、資料込の報酬を提示されるとちょっともやっとしますね。

いくらきれいにまとまっている資料でも、

参加者が手と頭を動かして自分で考え、行動しなければ意味がないですし。

参加者が能動的に何かを考えられる・発見できるような、敢えて

「コンテンツプアーなセミナー」の価値も見直されていいのではないでしょうか。

私はそういうセミナーを今後もやっていきたいし、参加していきたいです。

まとめ

情報詰め込みのコンテンツリッチについてセミナーを行う身として思ったことを書いてみました。大事なのは、考える余白を作ることだと確信しています。

編集後記

近所のお寺で「オンライン坐禅会」の掲示を見ました。さすが鎌倉。

すごいなあオンラインで坐禅もできる時代なんですね。(ちょっと興味。でも早朝すぎ)

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