他人の言葉を使っていたら文章に魂が宿らない
10/172018
カテゴリー:書く仕事
先日、同業者の方のブログ記事がまるごとパクられたということを聞き、自分のメディアを持つこと、コンテンツの価値について考えさせられました。
パクられた場合の対策はもちろん考えておくべきかと思います。
ただこの話を聞いて、
パクった人間は何か得するか
ということを考えると、何も得しないんじゃないかと思いました。
もちろん一時的にアクセス数を集められるかもしれませんけど。
その理由を書いてみます。
自分の資産にならない
平日毎日ブログを書いている人間として、一度でも人の言葉をまるごとコピーして書いたらその時点で自分の資産ではないと思っています。
自分のブログの中にぽんっといきなり違う人の文章が混じっていたら。
運営している自分自身が違和感を一番持つのではないでしょうか。
例えば私のブログでいきなりトライアスロンなどのハードスポーツ、おねえ系の話題がでてきたらやっぱり違和感あると思うんです。(書けないですけど)
経験していないことをさぞ経験したかのように書いてもどこかでひずみがでるでしょう。
顔も知らない・話したこともないライターさんに記事を量産してもらっているサイトも、没個性的で資産とは言えないと思います。
継続できない
人の文章をコピーする癖がある人は、毎日自分の言葉で書こうという意識が薄れます。
最初は寄せ集めで「それっぽい」サイトになるかもしれませんが、すぐに限界がくるでしょう。
先日、パクリ記事(私の記事ではなく、他の同業者の方)を寄せ集めたようなサイトを見ました。
ところこどころ巧妙に変えていますが、見る人が見たらすぐパクリとわかるものでした。
見た目は綺麗なサイトでした。
でも・・どこかで見た記事ばかりなので、まとめサイトのような雰囲気で個性が感じられませんでした。
そして途中で更新がぷつっと途絶えていました。
外部から情報をとってアウトプットしているだけでは、どうしても続けるインセンティブは低くなるでしょう。
他人の言葉では、言葉に魂が宿らない
いくらすごい人の言葉をとってきて並べてみたところで、自分の言葉を持たない人は文章に魂が宿らないと思っています。
それは、税金など専門的な記事でも同じで、どこかで書いている人の知性・人間性がでます。
自分が経験し、自分の言葉で書いた文章はデジタルでいくらコピーされたとしても自分だけのものであると思っています。
私は継続的にアウトプットしている人の記事を読むのが好きです。
「今日は話題なかったんだな」と思う記事にこそその人らしさが出ているんですよね。
(私も「何書いてるん?」というくらいにひねり出していることありますが。。)
でも「こんなこと書いてもな」ということでも、人の言葉を取ってくるよりはずっと価値があります。
自分の言葉は自分で磨くしかないし、自分の言葉を持たずに他人の言葉で生きている限りアウトプットする意味はないと思っています。
編集後記
昨日は、決算作業を主に。
申告書でハマってしまい、時間がすごく取られてしまいました・・気分転換にジムへ行って汗を流しました。
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