その「当たり前」は最近できたものかも。当たり前を疑ってかかろう。
10/122022
歴史をみると、「当たり前」なんてない
最近、『歴史思考』という本を読みました。
この本は、歴史を学ぶことで
「当たり前と言われていることが、実は当たり前じゃない」
を知ることができる、と書かれています。
確かにそうですよね。
現在では当たり前になっている
「人殺しはダメ」「体が弱い人には親切にしよう」
という考え方は戦国時代にはもちろんなかったし、
歴史を紡ぐ中で人々の中で徐々に培われてきたものです。
自分にとって、他人にとって
無意識に共有されている「当たり前」を
そのまま受け入れるのではなく、
一度疑ってかかると
ぐっと生きるのが楽になると思います。
※三連休は、世間の当たり前であるお出かけをせず、ずっと引きこもって手芸していました
「稼ぐ人が偉い」は最近の価値観
この本にも書かれていましたが、
「稼ぐ人が偉い、すごい」という「当たり前」は、
資本主義社会の中だけで通用する最近の価値観です。
実際、江戸時代の日本では
「士農工商」という制度があって、
支配階級の地位にある武士が一番偉く、年貢を納める農民、生産に関わる職人、
そして生産にかかわらず、お金を稼ぐことがメインの商人は一番身分が低かったのは
有名なところです。
考えてみれば、お金は単なるツールなんだから、
人々の生活を豊かにする何かを作る人の方が偉いのは当然な気がしますね。
昔は物資が希少だったから、単なるツールのお金をいくら持ってても
全然意味なかったのかも。
翻って現代。
さすがに古い言葉ですが
「誰のおかげで飯を食えてると思ってるんだ!」
と外で稼ぐ人間がパートナーに言い放つセリフが有名です。
昔だったら全然意味分かんないでしょうね。
「いやいや、飯を食えてるのはあなたのお陰ではなく
飯を作ってくれている生産者のおかげです」となるでしょう。
突き詰めて「当たり前」を疑ってみると、
おかしな「ニワカ当たり前」がたくさんあることに気づきます。
「ニワカ当たり前」から距離を置こう
わたしは税理士なので、「お金」よりの話ばかりで恐縮ですが、
この「お金持っているのが偉い」「稼ぐのが偉い」は本当に蔓延っているなあ
と感じます。
SNSなどで年商やら所得額やらのマウンティング祭りになってるのは、
その「ニワカ当たり前」を疑っていないからなのかな、と。
そういうのに付き合っていると、
視野が狭くなるし、なにより人生が悩みばかりになっちゃいます。
というわけで、わたしはなるべくそういった
「ニワカ当たり前」から距離をとっています。
むしろ、逆張りを目指すくらいの勢いで笑。
そのほうが、本質を考えられるし、
自分にとって本当に大切なものが見えてきます。
是非、目の前にある「ニワカ当たり前」を疑ってみましょう。
編集後記
最近、「Offen」という通販の靴やさんが気に入っています。
ペットボトルをリサイクルした糸で作っていて、環境にも良いし
とにかく軽くて履きやすい!海外旅行にも持っていきました。
白だと汚れやすいので黒も購入。
最近のあたらしいこと
関内・縁道パンの生食パン