知り合いに、親へ不定期に送金している人がいます。

聞いたところ、前にお金を借りたようで(総額は不明)それを返す意味もあるし、事情があって年金が出ず生活の苦しい親を助ける意味で送金をしているとのことです。

総額がいくらか分からないということはいつまでも返し続けるのか、そのうち援助という意味合いだけになっていくのか分かりませんが・・。

その方は若いころからも親から幾度となくお金の援助を受けているようで、親子との金銭のやりとりが常態化しているようでした。

援助されるような親になりたくない

最近いつまでも親にお金を援助してもらう人がいる一方で、上記のように親を経済的に援助する人も一定の数存在します。

子供がいつまでも親に経済的に援助してもらうことはよく批判になりますが、逆に子供が親を経済的に援助することは良いことのように思われていることが多いようです。

しかし私は子供が親を経済的に援助することは文句なしに良い事かというとそうはどうしても思えません。自分が親になって子供もかなり大きくなってきたことも関係しているかもしれません。

実際、自分が年老いたときに子供が経済的に援助しなければ生きていけないような状態には絶対になりたくありません。

「初任給でごちそうするよ!」くらいだったらめちゃくちゃ嬉しいと思うのですが^^;;定期的に送金してもらわなければ生きていけない状態なんて・・自分が情けなくなると思います。

親子だからこそ金銭のやり取りは厳しく

私は親子だからこそ金銭のやり取りはシビアになった方がよいと思っています。

ケチだとか非情だとか言われるかもしれませんが、私は子供に何か物(お金だとか土地だとか)を残そうとは思っていませんし、自分で稼げるようになった子供には基本的にお金を出すことはないと思います。

お金の稼ぎ方は教えるかもしれませんが、お金そのものは渡さないと決めています。

このような考えになったのは私が一度争続を経験したからというのもあります。

まだ私は20代半ばでしたが、母(小さいころ病気で死亡)方の祖父が亡くなったときに、祖母も一人娘の母もどちらも亡くなっていたため孫である私たち(私を含め4人兄弟)と祖父の後妻に法定相続権が回ってきたのでした。

祖父の後妻は「すべての遺産は私のもの」という主張をしてきました。

祖父は現金のほかに不動産・株などを所有しておりましたがきちんとした遺言書を残していなかったためかなりの時間をかけて争いをすることになってしまいました。

このとき、確かに財産を残してくれたのはありがたがったのですが「こんな嫌な想いをするくらいなら放棄をしたほうがよかったのではないか。いっそ祖父は財産を全部使ってしまってよかったのに・・」とさえ思いました。(祖父と遊んだ記憶はあまりなく、生活も質素でした)

このときから、「子供に財産を残す」ことは本当に良い事なのかどうか疑問に思うようになりました。

精神的・経済的に自立した親子関係が一番幸せ

一方、私の父は若いときにシングルファーザーになってしまいましたが公務員として定年まで同じところに勤めあげました。

定年後は田舎暮らしを始めて元々好きだった大工仕事や畑仕事を飽きずに毎日しています。

私たちが会うのは1年に2、3回程度。

会うといつも「ここへ旅行に行った」「畑に野菜ができたからあげる」「手作りでベランダを作ってみた」・・など自分が話したいことがいっぱいで人の話はほとんど聞いていません^^;;。

でも私はそんな父親を見てあー幸せにやっているんだな、と安心します。

金銭面については、私は父親の心配をしていないし、父親も私の心配をしていません(今給料いくら?とは聞いてきますが)。お互い大人なので信用しているからです。

ある意味一番幸せな親子関係は「いつもは互いのことを忘れられること」ではないか、と思います。

寂しくしているんじゃないか、金銭的に苦しくないかなど心配しあって頻繁に会うような仲はどうも依存関係があるような気がしてなりません。

もちろん健康状態が悪くなったというのは別ですが、普段はお互いを気にしないで暮らせる、「精神的にも経済的にも自立した親子関係」が私は理想です。

編集後記

現在、ある法人を立ち上げるべく電子定款の認証に挑戦しています。

やってみて、色々な知識が身についたなと感じています。

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